ちょっと体調を崩してこの一週間、ずっと家にいた。といっても寝ていたわけじゃなく、結局夕刻あたりからテレビの大相撲を見ていたので今週もその話で先週の続きだ。
暇だから気づいてしまったのだが、立ち合いがあわずに取り直しとなったときは、両力士が「すいませんでした」という感じで相手と、もうひとつ正面へもあたまを下げる。
誰にあやまっているかというと勝負審判の中心に座っている親方だ。五人のうちの一人でたぶん中心だ。いつも怖い顔をしている。
それが何回も仕切り直しが続く不祥事? となると、見ているこっちも心配で焦ってくる。えらいことになった、と親戚のおばさんみたいになっていく。世間が許さない、というやつだ。
それにこっちまで、あんた、もういいかげんにちゃんとやりなさい、という気持ちになる。親方がああして気にいらない、といっているんだからそろそろ本気で相手とあわせないと…。
ちゃんと相手の目をみていなさい。とつぶやいたりする。立ち合いがうまくいかなかった双方が、親方を見て軽くアタマをさげる。
ただ、あれはどうも、よく見ているとそんなにココロからわびているわけではないように見えますな。
テレビはたいてい親方のほうは映さないからよくわからないけれど、二回目以降は全体の流れからいっても、親方はもうカンカンに怒っているんだろうな、ということはわかる。
このくらいでなんとかしないと…。
力士の親戚のような気分になっている当方としては、そういう気持ちになっていく。
また、これも今回気がついたのだが、この立ち合いの気が抜けないやりとりと詫びの光景というのは、見物している我々にはまず関係ないところで展開している。
そういうコトになっているらしいのだ。力士も相撲協会もまわりの見物人に対しては関係ない、といわんばかりだ。
で、こういうコトをあーだこうだとわたしゃ言いたくないのだが、親戚のてまえ言っておきたい。あんたらはわたしらあっての大相撲でしょーが。
こういうときはあっちこっち気をつかってくんないと。
で、ひとこと提案したいんですが。相撲という格闘技のタタカイを、立ち合いからもっと闘魂むきだしにしてみたらどうか。
たとえば、むかいあったときから暗黙のうちに闘う意欲むきだしにして、「オラオラいっちょういくぜ!」となっていく。目つきなんぞもギタギタになっていく。
つまりはガンづけ、トラ、ワニ目だ。それを受ける相手も般若目、つまりはからみ目だ。双方白熱のガンづけだから、それをソラしたらもうヤバイ。
かくて立ち合い一発で双方たちあがってる。制限時間前の立ち合い、なんてザラとなる。それを見ている親方の顔がでっかく映る。これは見応えあるでしょうなあ。
■椎名誠(しいな・まこと) 1944年東京都生まれ。作家。著書多数。最新刊は、『思えばたくさん呑んできた』(草思社)、『続 失踪願望。 さらば友よ編』(集英社)、『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)、『机の上の動物園』(産業編集センター)、『おなかがすいたハラペコだ。④月夜にはねるフライパン』(新日本出版社)。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」は https://www.shiina-tabi-bungakukan.com