2010年10月、ストレスによる免疫力低下で体調を崩して以降、入退院を繰り返していた中森明菜。活動は無期限停止で業界内では「引退か」とささやく声もあった。
そんな中、14年の「第65回NHK紅白歌合戦」の特別枠でカムバックし、新曲「Rojo(ロホ)―Tierra(ティエラ)―」を歌い上げた。「紅白」出演は02年以来12年ぶり、テレビの音楽番組への出演は10年7月以来だった。
「紅白」で完全復帰を果たした明菜は翌15年1月21日にシングル「Rojo―Tierra」を発売し、さらに28日には〝歌姫シリーズ〟の第4弾としてカバー盤「歌姫4~My Eggs Benedict=」をリリースした。制作関係者は「シングルは09年の『DIVA Single Version』以来、実に5年4カ月ぶりでした。アフリカ・サウンドのダンスミュージックでしたが、明菜のボーカル力を前面に出して情熱的な作品に仕上げています。タイトルの『Rojo』とは『赤』で、サブタイトルの『Tierra』は『大地』という意味。その時の明菜の意欲をタイトルにしたものでした」と明かす。
一方のアルバムも、明菜のボーカルを最大限に生かしたいということで「カバーに特化した『歌姫シリーズ』の続編となった」(前出の制作担当者)そうで、内容的なコンセプトについては「ラブソング」となった。
「長い間」(Kiroro)や「愛のうた」(倖田來未)、「雪の華」(中島美嘉)などが収録されたが、明菜自身は「1970年代後半から2000年代の名曲から心の中に残る作品を選んだ」と語っていた。
そして、明菜にとって15年は50歳という区切りの年でもあったが、その50歳の最初に発売したシングル曲が、何と「再生不能」だった。
新曲タイトルは「unfixable」。日本語に訳すと「再生不能」というわけだ。音楽関係者も「ポップス系歌手のタイトルとしては異例。明菜の新曲だけにインパクトという以上に衝撃的でした」と振り返る。
しかもシングルとしては1987年の「BLONDE」以来 28年ぶりに全編を英語で歌っている。前出の音楽関係者は「50歳で、しかも通算50枚目のシングル。ユニバーサルでも〝アニバーサリー・シングル〟とうたっていましたが、それが〝再生不能〟ですから。制作担当者は『明菜のこだわりで選曲した渾身の作品』と言っていましたが、今でしたら〝炎上商法〟になるかもしれませんね」。
ただ、他方ではこんな話もあった。
「実は明菜をデビュー当時から手がけ、ユニバーサルでも明菜の窓口だった寺林晁さん(執行役員マーケティング・エグゼクティブ)が、この年に退職したのです。寺林さんはエイベックスに移ったのですが、明菜サイドは寺林さんが一緒に引っ張ってくれると思っていたのかもしれませんね」(関係者)
レコーディングは米ロサンゼルスで行われた。
「明菜は14年の秋に渡米し、新曲のレコーディングや『紅白』への出演、NHKで放送した『中森明菜 歌姫復活』(15年1月放送)の収録などを行いましたが、一方で作品を集めながら、新曲やアルバムの準備を始めていたのです。企画段階から明菜も参加し、春からは数曲のレコーディングを開始したそうです。そこから選んだのが『unfixable』だったのです。海外の4人の作家による共同制作だったようです」
表題曲は英語詞だったが、カップリング曲の「雨月」については、「日本語詞で、内容は活動休止中の気持ちを表しているとも。自分ではどうにもならない焦りやいらだち、それを乗り越えようと頑張ってきたら、一筋の光が見えてきた、と。明菜はこの曲を改めて聴くと涙が出てくると言っていましたね」(前出の音楽関係者)。
音楽活動を休止していた約4年間の明菜の苦悩と病気との闘いの日々、「紅白」への出演を決めた心情が、50歳という節目の作品の中に盛り込まれていたわけだ。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。