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海老原清治のNO GOLF NO LIFE 師匠が指摘してくれた「シャンク病」の原因は〝右足かかと〟治すために課されたのは…少々過激なドリル

zakzak by夕刊フジ 2024年10月16日 11時0分

1969年(昭和44年)の日本プロゴルフ協会プロテストに20歳で合格したものの、プロツアーで飯を食えるようになったわけではありませんでした。

自動車の免許証は自動車を運転する資格証明証でしかなく、トラックやタクシーのドライバー職に就かない限り、お金は稼げない。プロテスト合格はツアー出場の資格取得でしかなく、出場権ではありません。その当時は、無シード選手がトーナメントに出場するためには月例会で好成績を挙げて出場権を得なければならなかったのです。

鮮烈なデビューは果たせず、やがてスイングの持病を抱えてしまいました。クラブフェースでボールを捉えられず、ホーゼル(ネック)部分でヒットしまう「シャンク病」です。一度出始めると頻発する厄介な病が治まらず、それを知った師匠の林由郎が所属していた習志野CCに僕を呼びつけたのでした。

師匠との久しぶりの練習ラウンド。無難にプレーしていたものの、やはり突然、病が顔を出したのです。クイーンコース14番ホールの2打目で手にしたのは9番アイアン。ホーゼル部分に当たったボールは右隣ホールへ勢いよく飛んでいきました。そして3打目も再びシャンクしたのです。

悩める弟子に向かって師匠は、こんな言葉を掛けてくれたのでした。

「それだけしっかり当たってはいるんだから、シャンク病を治せばスイングもショットもこれまで以上に良くなるぞ」

練習場へ向かい、シャンク病の原因を指摘してくれたのです。

「(ダウンスイングでの)右足の使い方が悪過ぎる。右足かかとを上げず、(地面に着けたままの)ベタ足で振り抜きなさい」

右足かかとが上がり、その蹴り上げ動作によって右ひざが前に出てしまっている。ベタ足スイングに矯正することでシャンク病は完治するというのです。

そして、コンクリート製のOB杭の前に連れて行かれ、師匠はOB杭の正面にボールをティーアップしました。

「このボールをクリーンヒットしなさい」

僕は目を疑いました。クラブヘッドがボール位置よりも少しでも先に出たらコンクリート杭に当たってしまうからです。極端なインサイド・アウト軌道をイン・トゥ・インのスイング軌道に矯正する。そのための少々過激なドリルを師匠から課せられたのでした。(構成・フリーライター伝昌夫)

■海老原清治(えびはら・せいじ) 1949年4月2日生まれ、千葉県出身。中学卒業後に我孫子ゴルフ倶楽部に入り、20歳で日本プロゴルフ協会プロテストに合格。85年の中日クラウンズでツアー初優勝。2000年から欧州シニアツアーに本格参戦し、02年に3勝を挙げて賞金王。20年、日本プロゴルフ殿堂入り。174センチ、74キロ、血液型A。我孫子ゴルフ倶楽部所属。

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