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昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝 作詞家・水木かおる 安保闘争の真っ最中、デモ行進にマッチした「アカシアの雨がやむとき」が評価 西田佐知子の無機質で乾いた声が共感

zakzak by夕刊フジ 2024年10月11日 11時0分

水木かおるさんは戦後の食糧事情の極悪さの中、結核を患ったこともあり、新聞でのCMソング募集や同人誌に投稿を続けた。それがレコード会社に採用され、1952年、藤島恒夫・新橋喜代丸のデュエット「サラリーマン節」(飯田景応作曲)でデビューした。

その後、ポリドールの専属作詞家となり、60年、西田佐知子4枚目のシングル「アカシアの雨がやむとき」(藤原秀行作曲)が大ヒット。62年には「NHK紅白歌合戦」で披露され、「日本レコード大賞」ではロング・セールスが評価され特別賞が授与された。

〝アカシアの雨にうたれてこのまま死んでしまいたい〟。この歌が巷に流れた頃、日本は安保闘争の真っ最中で、民衆のデモ反対運動は成果をみず、退廃的になっていた。そんな中、西田の無機質で乾いた声が共感をよんだ。

テレビ画面に、民衆が国会議事堂の周りを蛇のようにうねりながらデモ行進するとこの曲が流れたものだ。

当初、この曲は暗すぎるということで会社側は難色を示したが、ディレクターは自信にあふれる説得を会社にしたそうだ。63年には浅丘ルリ子主演で映画が制作され、西田佐知子も出演している。

68年には累計100万枚を突破した。水木さんは「思えば『アカシアの雨がやむとき』のヒットまでは、作曲家の藤原秀行さんと西武新宿あたりの大衆酒場で寂しい酒と前祝いの酒の思い出ばかりだ」と業界誌に記している。

さらに渡哲也の「くちなしの花」(73年)と「みちづれ」(75年)は遠藤実さんとのコンビでヒットした。「みちづれ」は牧村三枝子が78年に競作して彼女の大きなヒットにもなった。

98年には川中美幸の「二輪草」(弦哲也作曲)が発売当初から予想以上の売り上げを見せ、「49回NHK紅白合戦」に出場後に100万枚突破の大ヒットとなった。

水木さんの歌詞は花の歌が多い。「別れ花」「あじさいの雨」「ほおずき」「鳳仙花」「さざんかの女」「雪割草」…。制作者が花の歌を企画したい時は、水木さんにお願いしろと、聞かされていたものだ。

■水木かおる(みずき・かおる) 1926年7月14日―98年7月4日、71歳没。東京都出身。

■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らのデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、Perfumeらを輩出。17年に退職し現職。

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