10月23日、東京・赤坂サカスでテント公演をしていた、新宿梁山泊の芝居「ジャガーの眼」の千秋楽を迎えた。
この芝居との特別な関わりは、前回も含めて、あちらこちらで話したので割愛するが、「何とか乗り越えた」という一言に尽きる。
そして、くしくも始まった第50回衆院選。この回が載る日には、すでに結果が出ていることになるわけだが、果たしてどんな未来が待っているのだろう。
今回の選挙の意味は、前回2021年のコロナ禍に行われたものよりも、はるかに大きい意味があるはずだ。
また、多くのオトナたちはそれを切実にリアルなものとして感じてもいるだろう。
コロナ禍は多くの苦しみも生んだが、正しい「気づき」も生んだと思う。
それは私たちがどれだけ、ちっぽけな存在であるかということを思い知らされたことだ。
また未曾有の事態にどれだけ政府が役立たずで、ロックダウンからワクチンうんぬんまで、政治がどれだけ大事なのかということを思い知ったはずである。
少し前に若い俳優さんが政治に無関心だとテレビで発言したことが炎上していた。
彼の若さに対して、揚げ足を取るようで世間も意地が悪いと感じた。だが同業者として少しだけ意見したくもなった。
何があろうと稼働し続ける必要に迫られる「第一次産業」とは違い、俳優の仕事などはそもそも絶対的な必要性がない。おそらく「第百次産業」程度だ。
つまり、吹けば飛ぶような存在で、政治次第で俳優は死屍累々になることをコロナ禍で思い知ったはずだ。
テレビから映画、舞台と、政治がちゃんとしていないと、俳優なんて仕事は、何一つまともに稼働しない。だからこそ、政治に無関心なんてことを俳優は言ってはいけない。
ただし、官僚政治なのだから、選挙なんてものは意味がないという、厭世(えんせい)的な意見だったならば話は別だが。
今回の選挙にはフルスイングの気持ちで投票する。今回は「政権交代」を望むか望まないかだ。
いろいろな判断や正義があるので、どちらが正しいかは言えるはずもないが、今のままの「延命治療」では、この先ロクなことにならないのは確かだろう。
だが、大きな変化には大きな痛みは避けられないはずで、今まで惰性でメリットを甘受していた側はそれを避けたいはず。また、その反対にゲームチェンジャーを望む側はガラガラポンをしたいはず。
私が一番怖いのは、選挙で何かが変わっても、結局大事なことは何も変わらなかったという未来だ。
このゲームには、私たちプレーヤーに与えられた「攻撃ツール」は衆院選のみだ。
しかし、その攻撃がラスボスに通用しないというならば、そんなアクションゲームが面白いわけがない。何度やっても倒されるだけで、その繰り返し。
それに気づいておきながらゲームを続けるというのは、真の絶望である。
■大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画「首都高速トライアル」で俳優デビュー。90年には「スプラッシュ」で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。NHK・Eテレ「ワルイコあつまれ」セミレギュラー。
11月22~24日に東京・銀座の博品館劇場で上映される「新版・天守物語」に出演する。