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海老原清治のNO GOLF NO LIFE 「まさかの連続」2位に10差で連覇 ゴルフツアーでこれほど「やることすべてがうまくいった」と思えるプレーをしたことはなかった

zakzak by夕刊フジ 2025年1月15日 11時0分

トーナメントプロを生業にして「ツアー1勝」を挙げられずにいる選手は、少なくありません。僕はレギュラーツアー時代に中日クラウンズで念願の1勝を手にしました。それだけでも幸せ者だと思います。

しかし、ツアー界には「1勝はフロックでも挙げられるが、2勝目が難しい」という言葉があるように、2勝目を達成する選手はさらに多くありません。僕もその一人でした。

それだけに、2000年から欧州シニアツアーで、勝利を飾れるとは思ってもいませんでした。2001年のアイルランド・シニアオープンでの1勝は「まさか」の優勝でした。

英語がまだ不得手だったことでラウンド中は選手同士の会話に加われず、最後尾を歩く。そのおかげで自分のプレーに集中できたし、同伴競技者の後ろ姿から選手の心理状態も読めて試合の流れを客観視できる利点があったのです。

中日クラウンズ優勝の時もそうでしたが、優勝争いをしている選手の緊張感を傍から見ることで自分は冷静になれました。自分のスイングができればOKバーディーがラウンド前後半で1回ずつは来る。さらにワンピン圏内のバーディーチャンスを3回決め、残り13ホールをパーでしのげれば5アンダーで上がれる。そんな計算をしながら、目の前の一打に集中してプレーしました。

幸いなことに、そのゲームプランどおりに運び、欧州シニアツアー初優勝ができました。さらにジャージーシニア・マスターズでも勝てたことで「難しい2勝目」も達成して、賞金ランキング8位に入ったのです。

前年覇者として臨んだ翌02年のアイルランド・シニアオープンでは、数々の新記録をマークしての大会2連覇を果たしました。初日16番ホールからのノーボギー記録57ホール。最終日は6バーディー、12パー。2位に10打差をつけての優勝。72ホールでの通算21アンダーです。

これほどまでに「やることすべてがうまくいった」と思えるプレーをしたことはありませんでした。本当に「まさか」の連続。感謝の思いから優勝賞金から1万ユーロをチャリティー基金として寄付させていただきました。02年は年間3勝、シニア賞金王タイトルを手にし、僕にとって最高の一年となったのです。

(構成・フリーライター伝昌夫)

■海老原清治(えびはら・せいじ) 1949年4月2日生まれ、千葉県出身。中学卒業後に我孫子ゴルフ倶楽部に入り、20歳で日本プロゴルフ協会プロテストに合格。85年の中日クラウンズでツアー初優勝。2000年から欧州シニアツアーに本格参戦し、02年に3勝を挙げて賞金王。20年、日本プロゴルフ殿堂入り。174センチ、74キロ、血液型A。我孫子ゴルフ倶楽部所属。

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