「歌は、自分の人生の先を照らしてくれる水先案内人かな。齢80を超えて、もう息も絶え絶えですけど、なんとかこう生きていけるのも歌があるからなんですよね」
フォークソングのレジェンドはそう話すと静かにほほ笑む。彼の歌声は穏やかだ。どこまでも穏やかだ。だが心の奥底に刺さってくる。
約7年ぶりとなるオリジナルアルバム「lovesong」(キング)をリリースした。それにしても、どストレートなタイトルだ。
「僕らが1960年代に海外から輸入されたフォークソングに飛びついたとき、まず出合ったのが〝ラブ〟という言葉でした。ボブ・ディランにしても、誰にしてもラブという言葉抜きにはありえなかったの。ラブの隣には反戦歌やプロテストソングもあったけど、やっぱり光っていたのはラブって言葉。だからアルバムタイトルにその言葉が出てくるのも、何の不思議もなかったね」
書き下ろしから再録音したものまで全11曲、さまざまな〝ラブ〟の形が描き出されている。詩は別役実や唐十郎、永六輔といったそうそうたる顔ぶれが並んでいる。
その中の1曲、「見えない配達夫」は詩人・茨木のり子の詩に自身で曲をつけた。
「茨木さんは僕らの親のように戦争を体験した世代で、僕は戦争を知らない世代。そういう方々がいて、僕らは今、この時代に生きてるんです。だからこそ茨木さんの言葉で、僕らも戦争に出合い直している。茨木さんの詩に出合えて本当にありがたいですね」
「木枯し紋次郎」(フジテレビ系)の主題歌で上条恒彦の歌でヒットした「だれかが風の中で」は初のセルフカバーで収録した。
「(オファーを受けたので)ドラマを手がける市川崑監督にヒントをもらおうと思い、おうかがいしたら、〝音楽のことはもう任せるから、いいように作ってくれたまえ〟なんておっしゃられて。それでもバカラックの『雨にぬれても』がお好きだと。私も好きだったので、バカラック風に作ってみたんです」と振り返る。
書き下ろしの「銀座ヤマハのラブソング」は、銀座七丁目にあるヤマハの楽譜売り場で働く〝きみ〟に会いたいと歌うシンプルなラブソングだ。実はこれ、ご本人のエピソードなのだ。
「当時、フォークに夢中な連中が、よくそこで輸入されてきた楽譜をあさっていたんですよ。彼女はそこの担当で、まあなんというか、後に僕の妻になった人です」と少し照れ笑い。
小室さんは楽譜探しと彼女に会うのとどっちが楽しかったのだろう。
「そこですよね、どっちなんでしょうね。随分昔のことだからねえ。妻に聞いておきます(笑)」とはぐらかされた。しかし聴いているだけで心が温まる曲だ。
そして2025年2月27、28の両日、一ツ橋ホール(東京都千代田区)で「小室等de音楽祭コムロ・デ・フェスティバル~コムロヒトシとは何者だったのか!?~」を開催する。
ゲストが、坂崎幸之助(両日)、伊藤多喜雄、佐野史郎、鈴木康博、山崎ハコ(以上27日のみ)、清水国明、白鳥英美子、友部正人、中川五郎(以上28日のみ)とすごい。
「本当にどうしたことでしょう(笑)。こんな方々、集めたくても集まりませんよ。それが皆さん快く応じてくれました。驚いちゃいますね。でも僕がいなければ、もっといいコンサートになるのにね(笑)」
そんな冗談はさておき、80歳になっても、こうしてライブを続けている。歌い続けている。それは歌の力を信じているからだ。
「そう、歌の力はすごいんですよ。人を救うことができるんだもの。出演者のみなさんの奥深い歌で、少しでも前向きに頑張ろうと思えたのなら、客席の何人もが救われて帰っていくと僕は思いますよ」
7年ぶりオリジナルアルバム「lovesong」リリース
■小室等(こむろ・ひとし) フォークシンガー。1943年11月23日生まれ、81歳。東京都出身。多摩美大在学中の62年、米フォークグループの「ピーター・ポール&マリー(PP&M)」に感銘を受け、63年に「PPMフォロワーズ」を結成。67年にアルバムをリリースするも解散。68年に「六文銭」を結成する。
71年には、上条恒彦と共演した「出発の歌」が「第2回世界歌謡祭」でグランプリに輝き大ヒット。ソロでも同年にシングル「雨が空から降れば」でデビューした。ソロや「六文銭」に加え、他アーティストへの楽曲提供やテレビ番組や映画の音楽制作、ラジオパーソナリティーやテレビ番組MCなど、活動は多岐にわたる。
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7年ぶりのオリジナルアルバム「lovesong」をリリース。また2025年2月27、28の両日、一ツ橋ホール(東京都千代田区)で「小室等de音楽祭(コムロ・デ・フェスティバル)~コムロヒトシとは何者だったのか!?~」を開催。
(ペン・福田哲士/カメラ・酒巻俊介)