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日本美女目録 久我美子という女優 映画史に残る名場面「ガラス越しの接吻」 未来への希望を語る姿が悲劇を一層引き立たせる「また逢う日まで」(1950年)

zakzak by夕刊フジ 2024年8月15日 11時0分

久我美子が映画界に入ったのには深いわけがあった。

世間知らずのお殿さまだった祖父と父は、久我侯爵家の家計逼迫を打開しようと高利貸から金を借りて失敗。大きな借金を背負い、お屋敷まで差し押さえられた。そこに詐欺師が付け込んだ。

その窮状を少しでも救おうと長女の久我が働くことを決心したのだ。東宝ニューフェースの応募を知った実家は当然のごとく猛反対。だが終戦で華族制度も解体された。久我の説得で彼女の住民票を親類筋に移すならばやむを得ないとなった。

ただし本名を使うことはまかりならぬと。そこで「こがはるこ」ではなく「くがよしこ」と名乗ることに。庶民には考えられないような苦労があったのだ。

戦後最大の労働紛争といわれた「東宝争議」が警視庁予備隊や米軍までが乱入して48年に終結し、東宝はようやく制作を再開。「また逢う日まで」(1950年、今井正監督)はそのうちの1本だ。

何といっても、この映画には歴史に残る名場面がある。主演の岡田英次と恋人役の久我のアトリエでの「ガラス越しの接吻」だ。人前でキスなど考えられない時代。いかにショッキングな出来事であったか、想像に難くない。ただ惜しむらくは邦画のキスシーンはこれが初めてではない。46年の「はたちの青春」が第1号だ。でもだからといってこの映画の価値は変わらない。

しかも、ガラス越しの後には、直接キスをするシーンも出てくる。これによって「ガラス越し接吻」という「事件」の価値が下がってしまったという意見も少なくない。筆者も終盤のキスシーンは蛇足だったと思う。

それにしても岡田と久我が楽しそうに、小さなフライパンを買いたいとか、子供は何人欲しいとか、家具の配置をスケッチして部屋の間取りを話し合ったりとか、いかにも生活感のある会話、未来への希望を口にするシーンがあるからこそ悲劇が一層引き立つのだろう。戦争を体験して生き残った国民にとっては、共感以外の何物でもないだろう。

そして、そんなときに見せる久我のはにかむようなほほ笑みが、見る者の心を洗ってくれるようだ。

第1回ブルーリボン賞作品賞、監督賞。第24回キネマ旬報ベストテン第1位は当然だろう。 (望月苑巳)

■久我美子(くが・よしこ) 女優。1931年1月21日~2024年6月9日。93歳没。46年、第1期東宝ニューフェースに合格。同期には三船敏郎、堀雄二、伊豆肇、若山セツ子、堺左千夫らがいる。47年に映画デビュー。70年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍してきた。

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