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〝反骨の人〟白井佳夫氏が死去、92歳 「キネマ旬報」編集長、国内の政治的対立が先鋭化した時期の映画批評界の1人

zakzak by夕刊フジ 2024年11月19日 15時30分

映画評論家の白井佳夫氏が10月5日、東京都内の自宅で亡くなった。92歳だった。映画雑誌「キネマ旬報」の編集長を1968年から76年まで務めていたから、ベトナム反戦運動や学生運動が高揚し、国内の政治的対立が先鋭化した時期のわが国の映画批評界を代表する一人といえる。

白井氏でまず思い出すのは、筆者も高校生の時に参加した「男はつらいよ」(69年)第1作の試写会で進行役を務めていた姿だ。上映後のシンポジウムで、山田洋次監督と映画公開の意義について熱く語っていたのが忘れられない。会場にいたのは確か40人ほどだったと思う。今でこそテレビで繰り返し放映される人気シリーズだが、第1作は会社幹部の理解を得られず、何とか公開にこぎ着けたいわくつきの作品。試写会も山田監督を招いたにもかかわらず小規模だったが、白井編集長はかなり頑張ったのではないか。同氏の反骨精神を示す会といえよう。

また東京12チャンネル(現テレビ東京)の「日本映画名作劇場」(78~83年)の初代解説者として、ご存じの映画ファンも多いだろう。やや硬い表情で名作を淡々と解説していたのが懐かしい。

晩年はメディアへの露出がめっきり減って、週刊誌や左翼雑誌などで映画批評を書いているのを目にするぐらいだった。ただしこの点、誤解なきように願いたい。

白井氏が活躍された頃は、冒頭に記したようにベトナム反戦運動をはじめ、左翼が圧倒的な影響力を持っていた時代だ。

それに現在の左翼リベラル派と異なり、当時の左翼は反権力意識が明確で知的レベルも高く、それなりの気骨を見せていた。ソ連の消滅で共産主義神話が崩れ去った後、現実と乖離した理論に固執する今の左翼とは違うというべきである。 (瀬戸川宗太)

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