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井上ヨシマサ ヒットメーカーの仕事術 井上ヨシマサ、19歳の作家デビューは小泉今日子に楽曲提供 筒美京平さんからいただいたありがたい言葉

zakzak by夕刊フジ 2024年9月11日 11時0分

1981年、中学生バンド「コスミック・インベンション」の一員としてデビューした井上ヨシマサは「提供された作品ではなく自作曲を自分で歌いたい」と考え、曲づくりを開始。脱退後はソロデビューを目標に、アルバイトをしながら創作に没頭する。

「コスミックのディレクターだった田村充義さん(のちに広瀬香美、ポルノグラフィティなどを手がける音楽プロデューサー)のもとへ通ってアドバイスをいただきました。やがて田村さんが担当していた小泉今日子さんのアルバムに自分の曲が採用されたんです」

井上の曲に小泉が〝美夏夜〟名義で詞を乗せた「Someday」は85年のアルバム「Flapper」に収録された。井上は当時19歳。もともと自分のアルバムを出すために曲を書きためていたが、一足早く作家として世に出ることとなった。最新アルバム「再会 ~Hello Again~」には、その作家デビュー作が小泉とのデュエットバージョンで収められている。

「最初はアイドルっぽいデモを作って田村さんに提出したのですが、田村さんは『君はアーティストを目指しているのだから、自分でも歌える曲にしないと意味がないよ』と。その言葉は僕の原点として今も心に刻んでいます」

そう振り返る井上は87年にアルバム「JAZZ」でアーティストとしてもデビューを飾る。同アルバムの収録曲「赤と金のツイスト」は詞とタイトルを変えて、田原俊彦が「KID」(87年)としてシングル化。チャートの3位をマークする。同年、小泉今日子の「Smile Again」も2位まで上昇したことで、若き作曲家のもとにはオファーが殺到する。

「その頃には作家事務所に所属して、ひたすら曲づくり。部屋にこもって、多いときは1日3曲のデモテープをマネジャーに渡していました」

業界では日本最大のヒットメーカー・筒美京平の後継者と目されるようになるが、26歳上の筒美とは生前、何度も食事を共にしたという。

「初対面のときは『第二の筒美京平って言われているらしいけど、頑張りなさい』と。最後の会食では『ようやく自分のメロディーを見つけたね』とのありがたい言葉をいただきました。先生には感謝の言葉しかありません」 (濱口英樹)

■井上ヨシマサ(いのうえ・よしまさ) 1966年、東京生まれのシンガーソングライター、作編曲家、音楽プロデューサー、大阪芸術大学客員教授。幼い頃からクラシックやジャズを学び、中学時代にテクノバンド「コスミック・インベンション」でプロに。85年から作編曲家としても活躍を始め、2012年、AKB48「真夏のSounds good!」で日本レコード大賞受賞。作家活動40周年を記念した第1弾アルバム「再会 ~Hello Again~」が好評発売中。

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