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ソロデビュー40年 荻野目洋子の輝く理由 15歳に念願の歌手デビューも〝アイドル黄金時代〟で苦戦 荻野目洋子、トップ20に届かなくても「焦りはなかった」

zakzak by夕刊フジ 2024年8月3日 10時0分

1984年4月3日、荻野目洋子は「未来航海―Sailing―」で念願の歌手デビューを飾る。当時15歳。キャッチフレーズの「ハートは、まっすぐ。」はコピーライター、糸井重里によるものだった。

「姉(荻野目慶子)が糸井さんと一緒に司会を務めていた『YOU』(NHK教育/現Eテレ)にデビュー前に一度だけ、姉の代わりに出演したことがあるんです。それがご縁で引き受けてくださったのですが、私の性格を見抜いたようなコピーで感激しました」

同期デビューは菊池桃子、長山洋子、岡田有希子といった顔ぶれ。当時は松田聖子を筆頭にしたアイドル黄金時代で、荻野目もそのカテゴリーに入れられた。

「私はもともと虫が好きな自然児だったので(笑)、アイドルになりたいという気持ちはまったくなくて。周りは本当にかわいい子ばかりでしたから、その中で人とは違う個性を出せたらいいなと思っていました」

84年はシングル3作とアルバム1作をリリース。10代の少女らしいポップスが続いたが、いずれもトップ20には届かなかった。所属事務所のライジングプロダクションは今でこそ人気アーティストを抱える大手だが、当時は創業直後で荻野目が第1号歌手だった。

「私自身は歌えることが楽しかったので焦りはなかったのですが、事務所は大変だったと思います。仕事の後に社長やマネジャーと食事をすると『どうやったら売れるか』という話をいつもしていましたから」

翌85年に発売された4作目のシングル「無国籍ロマンス」は坂本龍一が作曲。YMOや映画「戦場のメリークリスマス」の音楽で世界的に知られていた坂本はビクタースタジオにこもって2日ほどでオケまで制作したという。

「それがご縁となって坂本さんのラジオ番組に出演させていただいたことがありました。〝教授〟と呼ばれる方ですし、緊張して臨んだのですが、同じ目線でフランクに接してくださったことがうれしかったです」

その坂本は昨年3月に旅立った。同年7月にはやはり荻野目に楽曲を提供していたPANTAの訃報も届いた。

「悲しい年となりましたが、お二人に書いていただいた曲をこれからも大切に歌っていきたいと思っています」

(濱口英樹)

=次週に続く

■荻野目洋子(おぎのめ・ようこ) 1968年12月10日生まれ。84年「未来航海」でデビュー。85年、「ダンシング・ヒーロー」でブレーク。2001年に結婚し3児の母に。全曲自作のアルバム「Bug in a Dress」=写真=をライブ会場、もしくは通販のみ限定発売中。現在全国ツアー中で、8月31日は長野市芸術館メインホールで開催する。

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