渡辺恒雄主筆にご厚情を賜った方々は無数にいるだろうが、私もその一人である。渡辺さんは、私の人生を大きく変えてくれた大恩人だ。
2005年の年明け、孫正義さんから「経営を手伝ってほしい」と声をかけられ、ホークスの取締役として球界に復帰することになった。この転機は、2004年秋に行った渡辺主筆へのインタビューがきっかけだった。球界再編のさなか、渦中の人物であるにもかかわらず、主筆は面識がない私の依頼に応じてくれた。
「野球はお好きですか?」にはじまる失礼な質問の連続に、2時間近く丁寧に答えてくださった主筆の姿を今でも鮮明に覚えている。時折取り出した野球協約は、付箋や書き込みで膨れ上がり、その解釈について、よどみなく見解を表明した。壁一面に書物が並ぶ主筆室、机上に積み上げられた書類の数々から、博覧強記の読書家との評判が本当だと実感した。
「たかが…」の著書タイトルに表情曇るも読了後は200冊購入
出来上がった本のタイトルは『合併、売却、新規参入。たかが…されどプロ野球』。渡辺主筆からすれば、ご自身の「たかが選手が」という発言を揶揄されたようなもので、ふざけるな、と思ったに違いない。実際、当時の秘書部長によれば、手渡した際、明らかに不愉快そうな表情だったという。しかし、これも秘書部長からの後日談だが、読了後、「実に論理的。面白い」と評価し、200冊を購入して知人に配布してくれた。その1人が孫さんだった。後に渡辺さんが私を孫さんに推薦してくれていたことも知った。
ホークス在任中、森喜朗元総理、日テレの氏家齊一郎会長など、多くの要人から、渡辺さんからあなたのことを聞いている、と声を掛けられ、その影響力の大きさに感嘆した。
ホークス入団後も、近況報告や球界改革の提案をすると、忙しい中で時間を割いてくれた。12球団を3地区制にする案や、台湾や韓国を巻き込んだスーパーアジアリーグ構想といった突飛な提案にも真摯に耳を傾け、「それを実現するにはこうした課題がある」などと鋭い洞察を返してくれた。
一度、巨人の監督に星野仙一さんを擁立する提案をしたことがある。その後、渡辺さんから星野さんに実際に打診するに至ったのは、社内外の有識者から情報を広範に収集したうえでのことだったと思うが、後に読売の関係者から「主筆は、あなたの提案を非常に説得力があると評価していた」と聞き、誰の意見であろうと納得すれば尊重する渡辺さんの姿勢に感動した。
夕食をご一緒する機会も何度かいただいた。竹筒に入った日本酒を手酌で次々と注ぎ、アラカルトの料理をそれぞれのペースで楽しむのが渡辺主筆流だと、当時の秘書部長から聞いていたが、実際その通りだった。会話はウィットに富み、相好を崩して笑うその姿はとても魅力的で、私もそうだが、多くの人がこの笑顔に惹きつけられるのだろうと感じた。
最後にお会いしたのは2015年、ホークス退任の挨拶で主筆室を訪れた時だった。渡辺さんは「リハビリを頑張ったら腰が伸びたんだ」と89歳とは思えない、溌剌としたご様子だった。「また提言や提案があれば、遠慮なく連絡してくれ」との言葉が、今も私の心に深く刻まれている。
渡辺恒雄主筆のご冥福を心よりお祈り申し上げます。