26年半アシスタント務め
五代目三遊亭圓楽の最後の内弟子だった三遊亭愛楽(55)が26年半務めた演芸バラエティー番組「笑点」(日本テレビ系)のアシスタントを9月で卒業し、師匠と「笑点」への思いを語った。
収録時の前説や、大喜利の座布団運びの〝山田君〟こと山田隆夫のサポートが主な仕事だった。高校生でモノマネ番組に出演し、その道に進みたいと親に懇願し、許されたのが落語家。
「『笑点』に出たいという思いもあり、司会をされている圓楽師匠ならと便箋50枚をしたためたら、はがきが1枚来ました」
はがきには「愚痴を言うまい、ボヤくまい、男の心変わるまい、決めた人生行くしかない」とだけ書いてあり、夏休みに行くと入門が決まった。
師匠ゆずりの人情噺は18歳から間近で見てきた。
「人情噺という感じじゃなく、うちの師匠みたいにドッカンドッカン笑わせて、ここだ、というところで人の情で、ホールの人たち全員を泣かせる。ああいうふうに絶対になりたかった」
忘れられない思い出は体調を崩し噺家をやめようと実家に逃げたとき。
「師匠から電話で『明日すぐ来い』と。『何なんだ、お前は。やれ、ちゃんと。落語をやるんだ。男が決めたことはやるんだ』と言われ、『はい、心を入れ直します』と、また一から始めるということがありました。この世界、師匠が弟子を引き止めるなんて絶対にないことですから、今でも感謝しきれないくらいです」
「笑点」には師匠のカバン持ちだった18歳から出入りし、アシスタントは師匠にもらった仕事。前説などをするときは、師匠が舞台の袖で見ていて「そこはこうしたほうがいいよ」などとアドバイスしてもらった。
「亡くなってからも、ずっと師匠と一緒にいるみたいな場所で、『笑点』はずっとやっててもいいのかなというのがあったんですけど」と語り、圓楽の生前の言葉を続けた。
「でも、師匠が『笑点』を引退後、誰かのお披露目で番組に来て、アシスタントを続けている僕に、『お前まだこんなことやっているのか』って」
そんな愛楽の年内の高座は、12月8日「梶原いろは亭」(東京・上中里)、10日「亀戸梅屋敷」(亀戸)、13~14日「お江戸両国亭」(両国)、24日には隔月でネタ下ろしをする「蒔田の会」(中板橋「蒔田寿司」)が控えている。 (佐藤栄二)