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山下裕貴 有事警戒・台湾訪問 民進党系と国民党系、社会は深刻に分断 台湾の現状を視察 対立の背景に独立と民主化に至る歴史

zakzak by夕刊フジ 2024年7月31日 11時0分

6月中旬、台湾の首都・台北市と、中国福建省アモイ市の沖合にある台湾の離島、金門島を訪問した。日本の安全保障に直結する中国による「台湾有事」が警戒されるなか、台湾の歴史と現状を視察するためだ。

台北市の中心部に、中華民国の蒋介石初代総統を顕彰する「中正紀念堂」がある。この紀念堂の内部に大きなホールがあり、蒋介石の遺品などが陳列されている。ホール入り口の左側には、国民党のスローガンの垂れ幕が下がっていた。

入り口の右側には、国民党独裁政権から自由を勝ち取った民主化のスローガンの垂れ幕があり、奥にはギャラリーがあった。そこには、民主化運動と政府の弾圧などの写真パネルが展示されていた。

民進党政権下の一時期、紀念堂のシンボルである巨大な蒋介石座像を「独裁体制の象徴だ」との理由で撤去しようとした。しかし、国民党および、その支持者の強い反対で見送った経緯がある。

民進党の正式名称は民主進歩党であり、国民党の一党独裁体制下に民主化を要求して設立された政党である。その設立経緯から国民党と対立関係にある。

台湾はもともと東南アジアからの渡来住民が原住民として住んでいた。17世紀に中国大陸から漢民族が移住するようになり、台湾は漢民族が支配するところとなった。

19世紀には日清戦争により、台湾および澎湖諸島が日本に割譲されて統治下に入る。日本の敗戦後、入れ替わるように国共内戦に敗れた中国国民党が台湾に入ってきた。

当初、台湾人は彼らを歓迎したが、国民党軍の士気の低さ、国民党政府の傲慢な政治手法などにより、民心は次第に離反していった。

台湾人による大規模な反乱は「2・28事件」と呼ばれ、蔣介石により武力鎮圧された。台湾社会の指導階層数万人が殺されたといわれている。

この事件が、台湾人の独立心を強く刺激した。台湾が民主化されたのは、1987年の戒厳令解除、89年の新規政党結党禁止令解除の時期だとされる。

筆者は三立電視台(テレビ局)の対談番組に出演し、ゲストの立法委員(国会議員)や軍事ジャーナリストなどと議論したが、彼らの発言の多くは政権寄りのものだった。

このほか、新聞など多数のメディア取材を受けたが、現地の案内人によれば、テレビ局および新聞社やネットメディアなどの多くが民進党系か国民党系かに分かれているという。「台湾社会の分断」の深刻さがうかがえた。

■山下裕貴(やました・ひろたか) 1956年、宮崎県生まれ。79年、陸上自衛隊入隊。自衛隊沖縄地方協力本部長、東部方面総監部幕僚長、第三師団長、陸上幕僚副長、中部方面総監などの要職を歴任。特殊作戦群の創設にも関わる。2015年、陸将で退官。現在、千葉科学大学客員教授。新聞やテレビ、インターネット番組などで安全保障について解説している。著書に『完全シミュレーション 台湾侵攻戦争』(写真、講談社+α新書)、『オペレーション雷撃』(文藝春秋)。

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