第35回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)
壁一面のボードに、はがき大のカードが無数に貼られていた。今年5月、米東部ニューヨーク・マンハッタンのアン・リー監督の仕事部屋。一枚一枚に構想中の映画の場面のプロット(物語の筋)が書かれていた。
「カードの筋書きを直しては並べ替え、作品の全体像を考えていくのです」。美しい映画は、作り手の感性に、知的な努力が積み重なって完成する芸術だった。
世界的に優れた芸術家に贈られる高松宮殿下記念世界文化賞の第35回受賞者(演劇・映像部門)に選ばれた。台湾出身の70歳。誠実で柔和な人柄だ。映画に魅了されたのは高校時代。勉強は「苦手でした」と笑う。台湾の芸術学校を卒業後、兵役を経て渡米。英語を「第2言語」として育ち、よりよい生活を求めたとき、銀幕に見た「豊かな米国」を自然と目指した。
米国の大学で演劇を、大学院で映画製作を学び監督の道へと進むが、西洋の演劇に触れて、カルチャーショックを受けたと明かす。それまで学んできた東洋哲学の世界は「すべてのものと調和する」ことが基本であり、演劇基礎もそこに根ざしていた。
「しかし、西洋の演劇は葛藤に目を向けさせるのです。ドラマチックな状況に正直に向き合い、そのゆがんだ状況や葛藤に対して人間がどう反応するかを探ることが求められます」
台米合作の家族映画「推手」で長編デビュー。米英合作の恋愛映画「いつか晴れた日に」、中国の武侠映画「グリーン・デスティニー」で興行的にも成功した。
「グリーン・デスティニー」の成功について、「海外の観客にとって特に魅力的なジャンルではないかもしれない」としながらも、その魅力は「抑圧と解放のバランスにある」という。
「異世界的でエキゾチックな世界観は人々を現実から引き離し、子供の頃のファンタジーのような無邪気さを呼び覚ます力があります。観客がこの映画を通じて、まるで子供のように純粋な気持ちで物語に没頭できる点が魅力のひとつです」と語る。
父の無言は「最高の賛辞」
そしてその活躍を、台湾屈指の名門高の校長だった厳格な父は黙って見守っていた。「父が何も言わなかったのはプロだと認めてくれたから。それが最高の賛辞だった」と振り返る。
洋の東西を越える作品づくりの起源は、中国出身の両親の下、日本家屋の教員宿舎で、英語に親しんで育った環境にある。異文化を理解する一方、「本物の米国人でも、本物の中国人でもない」と語る自意識が、アウトサイダーとして「本質を捉える眼」を磨いた。
「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」では3D作品に挑戦した。映画界は新技術が次々と登場し、ストリーミング配信の作品も増えた。「新しい可能性にひかれる」。映画への情熱は尽きない。
11月19日に東京都内で授賞式
■アン・リー 映画監督。1954年10月23日生まれ、70歳。台湾出身。米国を中心に活動する映画監督。洋の東西を問わず、時代の本流と向き合う人間を描く芸術性と、多くの観客を引きつける娯楽性を両立させた作品を生み出し、「ブロークバック・マウンテン」(2005年)と「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(12年)でアカデミー賞監督賞を2度受賞。ベルリン、ベネチア両国際映画祭でも最高賞を2度受賞するなど世界的な名声を得ている。
「第35回高松宮殿下記念世界文化賞」の授賞式は11月19日、東京都内で行われる。
(ペン・平田雄介/カメラ・安元雄太)