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ぴいぷる 美術造形家・村瀬継蔵 特撮にこだわる理由「子供が夢を持てる楽しいものを作りたい」 VFX全盛の時代に今も生きる昔の技法

zakzak by夕刊フジ 2024年7月26日 11時0分

特撮界のレジェンドである。造形作家として手がけてきたものを挙げると、モスラ、キングギドラ、ガメラ…。50代以上の男性なら、彼が作った怪獣たちに魅せられたことが一度はあるだろう。

26日公開の「カミノフデ~怪獣たちのいる島~」はそんな造形の第一人者が総監督を務めたファンタジー特撮映画だ。

特殊美術造形家、時宮健三(佐野史郎)の孫である少女、朱莉(鈴木梨央)は、特撮ファンである同級生の卓也(楢原嵩琉)とともに、健三が作ろうとしていた映画の世界の迷い込んでしまう。2人は元の世界に戻るため、映画「神の筆」の謎に迫っていく。

VFX全盛の時代に、9つの首を持つ怪獣ヤマタノオロチの着ぐるみで特撮を敢行した。そうした映像は懐かしくもあるが、決して古いくさいものではない。

「一生懸命、かみしめて見ていただけたらと思います。そして昔はこういうのだったよねというのではなく、着ぐるみを使っていても、今の時代ならこんな映像が撮れるんだっていうことを、そして現在も昔の技法がちゃんと花咲いているということを受け止めてもらえれば撮ってよかったと思えます」

カメラの性能などが格段に向上している今だからこそ、特撮の在り方も時代に即したものにしなければならない。

「昔は、画面も小さいので、多少画像が悪くても、見ることができたんですよ。でも、今はそうはいかない。技術は向上していますからね。そういうところを(特撮監督の)佐藤大介くんがカメラワークで全部カバーしてくれて、本当にいい形に撮影できたんですよ。本当に上手にあしらっていただいた。僕がひとりで頑張ってもできるもんじゃない。大勢の方の力があったから完成できたんだと実感しました」

それでも特撮にこだわったのにはわけがある。もちろん、自身が造形作家であることもそうだが、「子供たちが夢を持つことができるような、楽しいものを作りたいとずっと思っているんですよ」と語る。

原案は「北京原人の逆襲」に携わったことで誕生

「カミノフデ」の原案は、1970年代に香港映画「北京原人の逆襲」(ホー・メンホア監督、77年)に特技監督や造形担当として携わったころに生まれたものだ。しかし映画化を提案した香港の制作会社は経営が傾き映画化自体も白紙に。

それが50年近い年月を経て、現代に息を吹き返した。それだけに、劇中には「逆襲」へのオマージュともいうべきシーンが盛り込まれている。「逆襲」への思い入れはかなり強い。なぜなら、原人が火だるまになってビルから落ちる危険なスタントは自身が演じているからだ。

「スタントマンにやってもらおうと言っていたのですが、俳優たちが着ぐるみに火をつけて、ビルのセットから落ちるなんて危険だから、保険をかけないとやらないと言い出してね。でも、制作会社は金は出さないというんだよ。でも私もできるなら本物に近い形でやってみたいと思ったんでね。自分で火だるまになって、落ちてやりましょうって引き受けたの」

当時の映画の撮影現場の熱量が伝わってくるほどのすさまじいエピソードだ。もうひとつ、手作り感満載のエピソードがある。

実は北京原人の着ぐるみは、本物の人毛をかき集めて作ったものだった。集めた人毛はパートで集めた女性4人が編み上げて、それをウレタンの着ぐるみに張り付けていったという。

「パートのおばちゃんたちはまさか北京原人の着ぐるみを作っているとは思ってなかっただろうね」というが、手間暇かけて作った3体の着ぐるみも全部焼けてしまったという。

「結局、何にも残らなかったね」とあっけらかんに笑うが、心の中にはそこまでして映画を作り上げたという誇りがしっかりと残っている。

そして、築き上げてきたものは、未来に受け継がれていく。

■村瀬継蔵(むらせ・けいぞう) 美術造形家、映画監督。1935年10月5日生まれ、89歳。北海道出身。58年に東宝の映画作品に参加。その後、独立して、72年に造形美術会社「ツエニー」(現在は会長を務める)を設立。「超人バロム・1」「ウルトラマンA」、「人造人間キカイダー」などを手がける。「大怪獣バラン」(58年)、「モスラ」(61年)、「マタンゴ」(63年)、香港映画「北京原人の逆襲」(77年)、「帝都大戦」(88年)、「ゴジラVSキングギドラ」(91年)などに参加した。2024年、第47回日本アカデミー賞の協会特別賞を受賞した。

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