ある台湾のドラマプロデューサーと話す機会があったので「日本のテレビをどう思うか」という質問をしてみました。ほぼ僕と同世代の方です。「日本の音楽やゲーム、テレビにものすごく影響を受けて育った」という彼は、こんな興味深い話をしてくれました。
「かつて日本のテレビには〝憧れ〟がありました。例えば『東京ラブストーリー』を見ていたときは、ライフスタイルに憧れました。あんな服を着て、あんな街で、あんな生活を送りたかった。みんなカンチとリカになりたかったんです。でも今は、日本のテレビは見るけれど、〝憧れ〟はありません。へえ、そんな人もいるんだ、日本ではそうなんだ、と〝観察〟する対象になったんです。日本のドラマは〝普遍性〟を失ったような気もします」
これって、結構深い話じゃないでしょうか。日本のテレビには〝憧れ〟がないそうです。そして、「観察の対象」ということは、〝共感〟もしないということなのでしょうね。
もちろん日本という国自体がアジアの中で地盤沈下して、憧れの対象ではなくなったということも原因のひとつでしょう。そして韓国のドラマが席巻したことも、日本のテレビの地位低下に大きく影響していることも間違いありません。
でも、それだけではない何かを日本のテレビは失ったのかもしれませんよね。
そう言われてみれば、最近の日本のドラマって、僕ら日本人にとっても、そんなに憧れるような人物は出てこないですよね。それほど共感できる人物も出てこない。なんでだろう?
結構「変わった人」とか「特異なキャラクター」が出てくることが多いからなんでしょうかね。そして、よく考えてみるとドラマだけじゃなくて、バラエティーにもそんなに憧れるような人物は出てきていないような気がします。
さらに、若い世代にとってはなおさら「テレビには憧れも共感もない」のではないでしょうか。たぶん彼らにとってもテレビは「観察の対象」くらいの感じでしょう。
アジアの人も、若年層も、日本のテレビには憧れも共感もない。だから夢中になって見ることがなくなったのではないか、と考えると腑に落ちます。大谷翔平選手じゃありませんが「憧れるのをやめる」と、冷静に勝負することができるわけですもんね。
憧れがないところに、熱はない。では、どうやったらテレビに憧れを取り戻せるのか? というと正解はさっぱり分かりませんが、ちょっとじっくり考えてみたいなと思いました。
■鎮目博道(しずめ・ひろみち) テレビプロデューサー。1992年、テレビ朝日入社。「スーパーJチャンネル」「報道ステーション」などのプロデューサーを経て、ABEMAの立ち上げに参画。「AbemaPrime」「Wの悲喜劇」などを企画・プロデュース。2019年8月に独立。新著『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)が発売中。