★絶品必食編
創業100年を迎えた「銀座吉澤」(東京都中央区)ですき焼きの肉をひと切れ食(は)み、しみじみ思う。
これが老舗の底力か、と。
7月29日、銀座吉澤が銀座のなかで移転、リニューアルオープンを果たした。賑々しい銀座3丁目から、悠々たる銀座1丁目へ。当代の祖父の実家があった土地に軒を移した。1階精肉店、2階すき焼き、しゃぶしゃぶその他、3階肉割烹という新たな熱源に火を入れた。
移転前、座敷の広間で味わったすき焼きは、新店舗では2階の〝肉処〟にて、焼き肉までも楽しめるようになっていた。
なんという悩ましさ! これまで僕としては「銀座吉澤ならすき焼き」と決めていた。
上等な肉のすき焼きは、割り下で肉味を最大限に引き出され、溶き卵をつければ郷愁をかきたてられる。泡立てた全卵に浸せば軽さと膨らんだコクで口内が満たされる。
頬張れば、口内いっぱいに折りたたまれた肉の積層から黒毛和牛のエキスが口の中にじゅわじゅわと充満し、傍らの白飯とともにすき焼きがもたらす日本人ならではの多幸感に心躍らずにはいられない。
ところが、新メニューとして投入された焼き肉もまた違う角度から肉の魅力を引き出した。
すき焼肉の倍ほども厚い肉がじりじりと網で焼かれ、すき焼きとはまた違った肉の灼ける香りが鼻腔をくすぐる。
用意された複数のタレはどこか京都焼肉の洗いダレにも似て、肉の味の輪郭をより鮮明に浮き彫りにする。
この日提供された34~44カ月という長期肥育の黒毛和牛は一片の焼き肉に、はちきれんばかりの味わいをたたえていた。2種類のタレを経由した肉を口に運び、クッと噛む。パンパンに張っていた和牛の旨味が無数のしぶきとなって口内に弾け、噛むほどに濃醇な味わいが肉の繊維の間から沁み出してくる。
銀座吉澤2階〝肉処〟には、すき焼きのように豊満で、焼き肉のように秀潤な味があった。3階の肉割烹は積み重ねた伝統の上に新たな味を見いだし、にじるように進化するはずだ。
100年の老舗は、伝統を堅持し、次なる100年の革新を重ねる。その心意気は未知なる肉の魅力を開いていく。 (火曜日掲載)
■松浦達也(まつうら・たつや) 編集者/ライター。レシピから外食まで肉事情に詳しい。新著「教養としての『焼肉』大全」(扶桑社刊)発売中。「東京最高のレストラン」(ぴあ刊)審査員。