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舟木一夫 出会いと別れの80年 恩師・船村徹「君のために作った『夕笛』は誰が歌ってくれるんだい」 仕事・人生への甘えを吹っ飛ばす一撃、復帰のきっかけに

zakzak by夕刊フジ 2024年9月6日 6時30分

舟木一夫が〝寒い時代〟と呼ぶ時期のある夜、恩師の作曲家、船村徹から電話があった。「舟木君、歌を辞めるんだって。そんなの君の自由だけど、君のために作った『夕笛』は誰が歌ってくれるんだい」とだけ言って電話は切られた。

舟木は脳天をぶち割られたような衝撃を覚え、仕事、人生への甘えを一撃のもとに吹っ飛ばされた。プロとしての自分を恥じた。復帰へのきっかけになった。

船村はその時のことをよく覚えていた。

「彼のために書いた作品は大事にしてもらわなくては困ると言った。私は歌い手の個性に合ったものを作るんですね。舟木君もその一人であったわけです」

舟木と船村の出会いは1964年7月にリリースした船村作曲の「夢のハワイで盆踊り」の時だった。舟木はイントロや間奏を含めてメロディーの美しさに驚いたという。

舟木は「先生の曲が一番多いのは断トツ僕だと思います」と言う。シングルとアルバムを合わせて41曲か42曲。これに「その人は昔」「雪のものがたり」「日本の四季」「北の出船」の4つの組曲(シングル計50曲以上)があるからだ。

舟木は2014年3月にNHK・BSで放送された「昭和の歌人たち・西條八十」に出演する際、NHKの担当者に「ギターで『夕笛』を歌いたいから船村先生に頼んでもらえませんか」と無理を言ってお願いしたところ、実現した。

翌年の秋ごろ、船村から舟木に「ちょっと手伝ってほしいことがあるから、食事でもしないか」と誘われた。最後の内弟子をデビューさせたいから、プロデュースをやってくれないかという依頼だった。舟木は作詞した数編の作品を手渡した。

船村はその中から「ござる~GOZARU~」に作曲し、16年2月に村木弾をデビューさせた。2作目の「都会のカラス」も舟木作詞。

村木は初めて船村からレッスンを受けた。船村が84歳で亡くなったのはそのレッスンから3日後の17年2月16日だった。 =敬称略 (大倉明)

■舟木一夫(ふなき・かずお)歌手。1944年12月12日生まれ、79歳。愛知県出身。63年6月、「高校三年生」でデビュー。橋幸夫、西郷輝彦とともに〝御三家〟と呼ばれ、人気を集めた。歌手だけでなく、ドラマや映画などで活躍してきた。ツアー「コンサート2024」を開催中で、10月22日に大阪・フェスティバルホール、同月23日に神戸国際会館・こくさいホール、11月6日に東京・渋谷の「LINE CUBE SHIBUYA」(渋谷公会堂)を予定している。

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