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渡邉寧久の得するエンタメ見聞録 映画「ヒットマン」 〝自分ではない自分〟になることを肯定的にそそのかす 血なまぐさいシーンは出てこない、実に秀逸な脚本

zakzak by夕刊フジ 2024年8月26日 6時30分

9月13日公開の映画「ヒットマン」(リチャード・リンクレイター監督)。タイトルから連想できる通り「殺し屋」の話だが、血なまぐさいシーンは出てこない。犯罪捜査を描きつつも、そこにロマンスやコメディー、スリラーなどの要素も加わり、実に秀逸な脚本になっている。

実存の人物にヒントを得た「やや本当の話」というクレジットが、冒頭で示される。

主人公のロン(偽の殺し屋の名)でありゲイリー(本名)を演じるのはグレン・パウエル。米ニューオーリンズで2匹の猫と暮らし、大学で哲学と心理学を教えるという真面目な生活者の顔を持つ。その一方で、地元警察に協力し、依頼殺人の証拠を集めるための盗聴・盗撮の技術スタッフとして働くという、秘密の顔を持っていた。

あくまでも捜査の裏方だったが、ある日、おとり捜査の殺し屋役の警官が職務停止となり、ロンに役が回ってきた。

元カレや母親、夫などの殺害を依頼する市民。ロンは、相手が求める殺し屋になり切り、殺害の動機を聞き出し、金銭を受け取り、店を出たところで、依頼人は逮捕される。で、一丁上がりだ(依頼人の特性を示す会話の中で、〝サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいる〟→〝よくない兆候ね〟というやり取りがあり、あの名作はそんな風にとらえられているのかと苦笑いしてしまった)。

そのさなか、夫を殺してほしいという女性(アドリア・アルホナ)が登場し、事態が急展開していくことに…。

今、目の前にいる自分と親しい人間が、目の前で見せる顔以外の面を持っているとは、人はあまり考えない。親しくなればなるほど、互いによく知っていると思い込む。

そんな当たり前に、映画は疑問を差し込む。と同時に、今ここにいる自分ではない自分になることもできると、映画は肯定的にそそのかす。

二面性が善と悪という単純なものではなく、人間はもっと複雑な内面を持っていることにも気付かされる。大学で講義するゲイリーの本職の様子などをところどころに挿入することで、アイデンティティーや多様性の重要さが観客に伝わる仕掛けになっている。

うまい構成だなと思いながら楽しんだ後のラストシーンは、ちょっとご愛嬌(あいきょう)か。 (演芸評論家・エンタメライター)

■渡邉寧久(わたなべ・ねいきゅう) 新聞記者、民放ウェブサイト芸能デスクを経て演芸評論家・エンタメライターに。文化庁芸術選奨、浅草芸能大賞などの選考委員を歴任。東京都台東区主催「江戸まちたいとう芸楽祭」(ビートたけし名誉顧問)の委員長を務める。

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