中森明菜のデビュー25周年のファイナル企画として発売したのがアルバム「歌姫ベスト~25th Anniversary Selection」(2007年1月17日)と明菜のバラード・ヒット曲を集めたアルバム「バラード・ベスト~25th Anniversary Selection」(07年3月17日)だった。
明菜の「歌姫」シリーズは1994年3月に発売された「UTA―HIME」が第1弾だ。「ボーカリストとしての明菜の魅力をアピールする」ことが基本コンセプトとなっていた。このためあえてオリジナルではなく、他のアーティストの名曲をカバーするスタイルとし、10年間で3部作をシリーズ化してきた。
このシリーズは大きな話題を呼んだ。そして25周年のファイナルが3部作のベストアルバム「歌姫ベスト」だった。
「明菜クラスのポップス系アーティストがカバーアルバムをベストアルバム化して出すなんてこと自体が異例でした。ただ振り返ると『歌姫』シリーズがカバーブームの火付け役になったことも確かですからね」(音楽関係者)
ただ特筆すべきは「バラード・ベスト」のほうだったかもしれない。何と、未公開だった明菜の初のコンサートツアー(83年2月27日の東京・新宿厚生年金会館でのコンサート)をDVD特典としたことだった。
「明菜の記念すべき初のコンサートツアーの模様を30分にわたって収録していました。もともと資料用だったものだったそうですが、おそらく現存では最も古いライブ映像で、文字通り明菜ファンにとっては〝お宝映像〟でした」(同)
当時の明菜の関係者が保管していた映像は、「セカンド・ラブ」「ダウンタウンすと~り~」「1/2の神話」「スローモーション」「少女A」などデビュー当時のヒット曲を中心に全7曲が収録されていた。
「当時は17歳。初々しい明菜の表情を追っています。歌の途中で声が詰まるなどレアな明菜も堪能できました」(同)
ちなみにバラード・ベストでは「難破船」「帰省~Never Forget~」を新たにレコーディングしたほか、「セカンド・ラブ」「SAND BEIGE~砂漠へ~」「二人静」など15曲を収録。さらに今回のために書き下ろした新曲「あの夏の日」を収めていた。
そして明菜の26年目のスタートは、明菜が演歌歌手に転身することだった! 何と、ポップス系のアーティストとしては初めて演歌のカバーアルバムを発売(2007年6月27日)したのだ。タイトルは「艶華―Enka―」。
デビュー25周年を迎え心機一転、新たなチャレンジだった。これも「明菜のボーカル力を引き出したい」ことが企画の狙いだった。収録曲は「明菜に歌わせたい演歌」と題した曲目投票も行った。しかもサウンド・プロデューサーには千住明氏を起用し「ダイナミックな演歌・歌謡曲の世界を描いた」という。ある業界関係者が振り返る。
「ポップスの歌手が、演歌のカバーアルバムを出すなんて聞いたことがなかったですね。当然、音楽業界でも初めてのケースでした。しかもタイトルが『艶歌』です。『四十路艶歌』のほうがハマったなんて皮肉る声もありましたが、音楽評論家からは『明菜の魅力は何と言ってもボーカル力。その彼女の武器を生かして演歌のアルバムを出すことは音楽業界にとってもプラス』と評価する声もありました。しかも明菜が演歌を歌うのは『新たなファン層獲得にもなる』との意見もありました。もっとも(ユニバーサルの)制作担当者は『日本人のDNAとして残る演歌への共感、琴線に触れる歌心に、日本再発見の思いをこめた明菜流のアプローチがされたエキゾチックなアルバムを目指す』などとアピールしていましたが…」
収録曲は投票だったが「作家(作詞家、作家)や楽曲の権利会社からの問い合わせも多かった」とし、「やはり明菜に歌ってもらえば注目度もアップしますからね」と制作関係者は話した。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。