ここ数年、かなりの本を処分してきたが、雑誌がなかなか処分できない。
何しろ、好きな雑誌は創刊号から揃(そろ)っていないと嫌という性格なので、創刊号コレクションもかなりのものになる。
で、かねがね連載したいと思っているのが、雑誌の創刊号にまつわる話。目次と面白い記事をピックアップして紹介するというもの。
タイトルは「創刊号には編集者の夢が詰まっている」。
そんなことを考えながら、雑誌を整理していたら、出てきたのが『人物評論』創刊号。
昭和8(1933)年3月1日発行。題字の上に大宅壮一編輯とあって、定価は30銭。人物評論社発行。
巻頭に大宅さんの決意が。
<人間、人間、凡そ人間に関わるものでありさえすれば、僕は何にでも興味を持つ、関心を有し、魅力を感ずるものである――>
「藤村・有三・義三郎の仮面を剥ぐ」
「低腦教授列傳」
「偶像を破壊す」
など、いかにも大宅さんらしいタイトルが目次に並んでいるが、ぼくの目を引いたのが、
「中里介山・人と生活 笹本寅」
11月6日のこの欄に書いたようにぼくが今、『大菩薩峠』を読み進めているからだ(ちくま文庫で20巻、もっか8巻目)。
昭和2、3年頃、府下西多摩郡西多摩村の中里氏の家を訪問した翌朝のシーン。
<顔を洗うと、井戸端に行った時、本丸の方から、もうキチンと袴をつけ片手に大きなザルを持った中里氏があらはれた。
「や、お早う。この中に食料品がはいってゐますから、御自由に一つ……。たまには、自炊をするのも、薬になります。メシだけはたいておきましたから、あちらへととりに来て下さい」
中里氏は、僕に、その大きなザルを渡した。――見れば、ザルの中には、味噌、ワカメ、鱈の干物、卵が二つ、丸ごとの澤庵などがはいってゐた。それ等の材料で、自分が味噌汁をつくり、干物をやいて、朝めしを食へ、というのである。なるほど、離れには、台所があり、それに付属する道具の一切がそなはってゐる。だが……結局、僕は卵だけ使って――卵かけのメシをかき込んで、本丸の方へ伺候した。>
で、中里氏、笹本さんを自らの「書斎」に案内してくれる。
<中里氏は、その「書斎」と呼ばれる屋根裏に、僕を案内した。屋根裏に通づる道は、お粗末な普通のダンバシゴ、それに屋根裏から大きな麻縄がブラ下ってゐる。――ハシゴがあまり急なので、その麻縄につかまって上へのぼって行くのである。
屋根裏は、横長の五坪ばかり。薄べりが敷いてあって、一間ほどの窓が一つ。机、本や手紙が乱雑に投げ込まれた大きな籠が二つ。
空と反対側の、幅九尺、床から天井までを、碁盤目に仕切られた小さな桝がある。――よく見ると、その桝の一つ一つに、たとえば「乗物」だとか、「船舶」だとか、「温泉」だとかの小さな札がはられて、その中には、新聞や雑誌の切抜きらしいものが、いっぱい詰められてゐる。
――この小さな無数の桝、言葉をかへれば、日頃の孜々とした研究の蓄積から、あの大きな「大菩薩峠」が生み出される――。
これは、昭和二三年頃のころであった。>
笹本寅はもう殆(ほとん)ど知る人も少ない作家、新聞記者。
中里介山の「人と生活」が生き生きと描かれ興味深かった。
(月刊『Hanada』編集長 花田紀凱)