「予断を許さない状況らしい」ということは聞いていた。倒れた後の経過はどうで、今はこうだから「とにかく回復を祈ろう」という仲間内でのやり取りをした。普段ほとんど神さんに頼らない僕が、今回ばかりは毎日「お願いしますお願いします」と口にしたけど届かなかった。
桂雀々が逝ってしまった。いつの間にか知り合っていて、思えば40年以上の付き合いだから、何から思い出していいのかわからない。
笑福亭笑瓶・嘉門タツオ・北野誠・桂雀々という、ほぼ同世代の4人が若手やんちゃ組として(そして「負けへんで!」という良きライバルとして)1980年代の関西の芸能・放送界を席巻したことは、笑瓶さんが亡くなった時にもこのコラムに書いた。
僕は放送作家として彼らと均等に付き合い「こんなことやろうや!」と怖いもの知らずでやっていたけれど、桂雀々との関係において特別だったことが一点だけある。
それは僕が〝桂雀々のファン〟だったことだ。他のいろんな芸能タレントさんたちとは仕事つながりの仲間というニュアンスが当たっているけど、桂雀々は僕を思い切り笑わせてくれるお気に入り落語家の一人だった。
昨年の春に彼が敢行した「雀々ぼっち~TOKYO23区行脚ツアー~」についても、ここで紹介したが、その一部を引用してみる。
「全身全霊注ぎ込み型の話し口調で、笑いの肝を直につかんで来る。くすぐったいやら、気持ち良いやらで、我が感情を好きなように操られる」「じっくり聞かせる落語、技を駆使して感心させる落語、そんな言い方でいくと〝私自身が落語になりますのでどうぞご鑑賞ください〟と噺家本人が落語そのものになってしまうのが〝雀々落語〟だ。難しいことは忘れて、ただ眺めているだけでいい」
ここ数年は、大阪の頃からの限られた気の合うメンバーで、年に数回、東京の某所に集まってアホ話をする会が誰が言うともなく開催され、桂雀々は、持病のこともあり、好きだったお酒もやめていて、ずっとシラフで誰よりも満面の笑みで、ツッ込み、ボケて、話を回してくれた。
このコラムで、こういう思い出話を書く時は「初めて言うこと」をきっちりと届けようと決めているので、それを最後に。
僕はバツイチなんですが、離婚というのは相当にパワーが必要で、きちんと間に入ってくれる人物が必要なんです。雀(じゃく)ちゃん、あの時はほんまに迷惑かけました。感謝してるで、ありがとう。また会おな。
■東野ひろあき(ひがしの・ひろあき) 1959年大阪生まれ、東京在住。テレビ・ラジオの企画・構成(FM大阪「森高千里ララサンシャインレディオ」)、舞台脚本(「12人のおかしな大阪人」)やコンサート演出(松平健とコロッケ「エンタメ魂」)、ライブ企画・構成(「小室等de音楽祭」)、コメディ研究(著書『モンティ・パイソン関西風味』など)。猫とボブ・ディランをこよなく愛するノマド。