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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 時代を象徴、中森明菜と安室奈美恵の対決…リハーサルはピリピリムード全開 第53回NHK紅白で「飾りじゃないのよ涙は」を歌唱

zakzak by夕刊フジ 2024年6月18日 11時0分

「何のために、この仕事をしているのかって言ったら、ファンの子たちが喜んでくれるのが私にとっては一番でした」

2002年の大みそか、14年ぶりに「第53回NHK紅白歌合戦」にカムバックすることになった中森明菜はそう喜びをかみ締めていたが、一方で「デビュー20周年という節目の年に『紅白』という晴れの舞台に立てることを大変に光栄に思っています」とコメントを出した。

音楽業界を含む芸能界で、期待こそあれど明菜の「紅白」復帰を予想した者がどれだけいただろうか。だが、明菜のカムバックに向けて奔走したのは言うまでもなくユニバーサルミュージックの寺林晁氏だった。

当時を知る音楽関係者は「明菜がユニバーサルに移籍する前から、寺さんは『紅白』へのカムバックを念頭に入れていたようでした」と振り返った上で次のように語る。

「移籍後、最初のアルバムがカバーアルバムの『ZERO album~歌姫Ⅱ』でした。万が一、『紅白』にカムバックできたとしても、まさか明菜に他アーティストのカバー曲を歌わせるわけにはいかない。寺さんもそこは十分に計算していて、『紅白』のタイミングに合わせて、自身のヒット曲を新たにアレンジし直したセルフ・カバーアルバム『Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド』の発売を考えた。だいたいユニバーサルが明菜との契約を結ぶまでに何だかんだで2年を要しましたからね。その間にいろいろ戦略を練っていたのだと思います。まず他アーティストのカバーアルバムでボーカリストとしての新境地を切り開き、その後に自身のヒット曲の新録アルバムを出すことで、アーティストとしてグレードアップした明菜をアピールしたかったのでしょう」

その上で「その戦略は(松田)聖子の『瑠璃色の地球』や(山口)百恵の『秋桜』で話題を作るばかりか、頭を剃り上げた明菜のジャケット写真で波紋を呼ぶなど徹底していましたよ。さすがにワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)時代から明菜を手掛けてきただけに、明菜の売り方は熟知している。いずれにしても、この年は明菜の話題に終始した気がします。まさに寺さんの戦略が見事に炸裂したような感じでした」とも。

そういった戦略が功を奏したのかもしれない。「紅白」での歌唱曲は、アルバム「歌姫ダブル・ディケイド」にも収録した「飾りじゃないのよ涙は」となった。この曲はシンガー・ソングライターの井上陽水が、他アーティストとしては初めて提供した作品である。それだけに明菜と陽水との関係は深く、業界内では明菜を「歌姫」と呼んだのは「陽水が最初だったのではないか」といった逸話もあったほどだ。

もっとも、陽水の代表曲「少年時代」(共作)でも知られる作曲家で音楽プロデューサーの川原伸司氏は「陽水さんが、明菜さんを最初に〝歌姫〟と呼んだのかは定かな情報ではない」と首をかしげる一方、「明菜さんが最初にMCAビクター(現ユニバーサルミュージック)から『歌姫』というアルバムを出した(1994年3月)のですが、その時にジャケットに〝歌姫〟と書いたのが陽水さんでした。彼の書く文字は独特でね、非常にユニークだったんですよ。それを見た明菜さんが陽水さんにお願いしたのです。そんな話が業界内で一人歩きしていったのだと思います」。

話題は尽きないが「飾りじゃないのよ涙は」の選曲は明菜自らの要望だったとも。NHKの制作陣も工夫を凝らした。

「この年は『紅白』史上初めて紅白交互出演の順番を崩したんです。そのため、白組の平井堅とCHEMISTRYが対決した後、紅組は明菜と安室奈美恵となったのです。NHKでは『新旧実力派アイドルの対決』と演出上の狙いをアピールしていましたが、今振り返ると時代を象徴していましたね」(放送記者)

しかし、その「紅白」のリハーサルはピリピリムード全開だった。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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