プロ野球界の「ドン」として君臨していた渡辺恒雄氏と真っ向から対峙したのが、サッカーJリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏(88)=日本サッカー協会相談役=だ。
渡辺氏の訃報に接した19日、川淵氏は次のようにコメント。「クラブの呼称問題などで侃々諤々の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡辺さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさに渡辺さんはJリーグの恩人。心から感謝しています」
1993年にスタートしたJリーグがチーム名から企業名を外す理念を掲げると、渡辺氏が「川淵がいる限りJリーグは潰れる」と〝口撃〟。負けじと川淵氏も「独裁者に独裁者と言われて光栄」と対抗した。
両者と親交ある人物から「そろそろ渡辺さんと握手してみたら?」と和解を勧められても固辞し続けたが、「いつかはじっくりお話をしたい」との思いは、18年の自著「黙ってられるか」(新潮新書)の対談で結実。
川淵氏は「渡辺さんは僕との論争で『勝ち目がないと思っていた』とおっしゃったんだよ。『私はスポーツの世界では素人。野球界については他球団のオーナーに負けじと何度も野球協約を読み続けた』と話していらした」と述懐する。
この対談以来、「一度もお会いしていない」というが、川淵氏の古希(70歳)の祝いに手紙が届いた。「サッカーと野球で青少年の精神向上に頑張りましょう 渡辺恒雄」と直筆で書かれていたという。川淵氏は「僕の宝物のひとつだ」と今も大切に保管している。(久保武司)