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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 「あんまり幸せじゃないほうが…」中森明菜、かつて結婚について言葉を選んで語った「美学」 〝躍動〟の2003年、思わぬオファーも

zakzak by夕刊フジ 2024年8月27日 11時0分

2003年。デビュー21年目のスタートを切った中森明菜にとってまさに〝躍動〟の年だった。

1980年代の芸能界を共に彩った松田聖子の代表曲の1曲だった「瑠璃色の地球」をカップリングした新曲「Days」を発売(4月30日)すると、2週間後の5月14日にはバラードアルバム「I hope so」をリリース。このアルバムでは収録14曲中4曲の作詞を明菜自ら手がける意気込みだった。

アルバムについて、明菜は「タイトなレコーディングスケジュールでしたが、切羽詰まった時間の中、詞の世界に追い込むことによって力が出てきた」と振り返ったが、発売翌日の15日からはアルバムを提げての全国ツアーもスタートした。

当時、東京・新宿にあった東京厚生年金会館から始まり、全国21会場(ファイナルは誕生日の7月13日に兵庫・神戸国際会館)を回るものだったが、このツアーで明菜は、何とウエディングトレスをイメージした衣装で登場し、詰めかけたファンを驚かせた。芸能記者が振り返る。

「肩を露出させた純白のウエディングドレスでした。会場ではファンからは思わず『クルクルして』なんて声がかかっていましたね。そんな声援に明菜は満面の笑顔で応え、ステージ上で2回転していましたよ」

余談だが筆者は、かつて明菜に結婚について尋ねたことがあった。すると明菜は「みんな幸せな明菜ちゃんを求めていないんじゃないかな」とつぶやいた。「そんなことはないと思いますけどね」と返すと、はにかんだ表情で「幸せな明菜ちゃんだったら応援してくれないと思うの」と持論を述べたことがあった。

実はこのウエディングドレス衣装をめぐり、記者から異性の存在を聞かれる場面があった。すると明菜は、言葉を選びながらも「多分…女優とか歌手の人たちというのは、あんまり幸せじゃないほうがいいのかもしれません。おそらく、神様にも伝わっているんじゃないかな」と語った。

おそらく、それが明菜なりの「美学」だったのかもかもしれない。

「アルバムに合わせた内容で、セットリストもバラード中心の構成になっていました。デビュー曲『スローモーション』も盛り込んだ19曲で明菜ならではのステージだったと記憶していますね」(前出の芸能記者)

さらにコンサート・ツアーの真っ最中に思わぬイベント出演のオファーが明菜に届けられた。何と台湾・台北市の国立台湾大学室内運動場で開催される「第14回金曲奨・2003 GOLDENMELODY AWARDS」にプレゼンターとして出席してほしいという打診だった。

「現在は行政機関の一つである中華民国文化部が主催していますが、台湾のグラミー賞といわれるなど、最も栄誉のある賞の一つです。当時、アジア圏を中心に新型肺炎『SARS(サーズ)』が猛威を振るっていましたが、台湾はその感染地域から除外されたことから、台湾としても何とか賞を盛り上げたいと思ったのでしょう。そこで白羽の矢が立ったのが明菜だったのです。明菜はアジア圏で最も注目されていましたし、公演開催のオファーも何度もあったようですから。いずれにしても、SARSの感染地域除外後、初めて台湾を訪れた日本歌手として注目されましたが、実は明菜にとってもデビュー以来、初の台湾訪問でした」(前出の芸能記者)

一方、台湾の芸能事情に詳しい芸能記者は「アジア圏でも台湾での明菜人気は突出していました。明菜のボーカルに魅了されたファンが多く、中でもバラード作品への評価は高く、アルバム『I hope so』も好評でした。それだけに、タイミング的にも『金曲奨』への出演は、台湾での明菜ファン拡大に拍車をかけるイベントになったはずです」

ちなみに「金曲奨」は8月2日に開催されたが、明菜は「ポップス最優秀演奏賞」と「最優秀クラシック・アルバム賞」のプレゼンターを務めた。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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