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海老原清治のNO GOLF NO LIFE 75歳の僕が10歳でゴルフと出合った日 燐家の家主、プロゴルファーの林由郎さんが師匠に

zakzak by夕刊フジ 2024年9月11日 11時0分

あと2年で喜寿を迎えるというのに、連載コラムの依頼を受けるとは思ってもいませんでした。長いことゴルフを生業にし、携わって来ることができたおかげだと本当に感謝しています。

僕の生家は、千葉県我孫子市の我孫子ゴルフ倶楽部3番ホール左側のすぐ側にありました。子供の頃の昭和30年代は神武景気を皮切りに高度経済成長を迎え、テレビがようやく普及し始めた時代でした。とは言っても高価だっただけに、近所では隣の家に一台しかなく、そうそう気軽に見られるものではありませんでした。

その当時は、力道山が大活躍するプロレスが超人気番組で、隣の家主の計らいでテレビ観戦ができました。僕ら子供は家に上がらせてもらって観ていましたが、大人たちは庭先からしか観戦できないほどの人だかりだったのを思えています。昭和ならではの光景ですよね。

小学校に通い始めた頃のことでしたが、遊び仲間たちと我孫子GCの2番ホールで駆け回っていたら、隣の家主さんが近づいてきたのです。手にはゴルフクラブとボールを携えていました。そして、子供たち一人一人にクラブの握り方を教え、ゴルフボールを打たせてくれたのです。

初めて教わったゴルフクラブの握り方が右手の小指と左手の人さし指を絡めて握るインターロッキンググリップ。以来、70年経ってもそのグリップでプレーしているとは…。

7番アイアンはボールがそこそこ上がって飛ぶけれど、4番アイアンはボールが上がらず転がるだけのクラブだと感じたのでした。

その人は一歳上の隣家の林由一(プロ)の父親でしたが、ゴルフを生業にしているプロゴルファー(林由郎)であることは知りませんでした。これがゴルフとの出合い。でも、本格的にゴルフを始めるのは10年も後のこと。しかも燐家の家主が、やがてゴルフの師匠になるとは想像もしていませんでした。 (構成・フリーライター伝昌夫)

■海老原清治(えびはら・せいじ) 1949年4月2日生まれ、千葉県出身。中学卒業後に我孫子ゴルフ倶楽部に入り、20歳で日本プロゴルフ協会プロテストに合格。85年の中日クラウンズでツアー初優勝。2000年から欧州シニアツアーに本格参戦し、02年に3勝を挙げて賞金王。20年、日本プロゴルフ殿堂入り。174センチ、74キロ、血液型A。我孫子ゴルフ倶楽部所属。

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