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ぴいぷる 歌手・中村美律子 120歳まで歌ったる!古希を超えてパワーアップ ジムでダンベル10キロ、3歳の孫とファンのため鍛錬惜しまず

zakzak by夕刊フジ 2024年7月12日 6時30分

パワフルな女性だ。いつも元気いっぱい、笑顔いっぱいで、よくステージでも「120歳まで歌い続けます」と話しているが、あながち冗談じゃないんじゃないかと思ってしまうほどだ。

「私はやったろうと思っています(笑)。客席からも、〝みーちゃん、120歳まで頑張ってやー〟って声かけられますからね。でもね、私がちゃんと頑張ってたら、みんなも頑張れるんやないかなとは思ってます」

古希超えてパワーアップ

古希を超えて、ますます元気いっぱいなわけは、ウオーキングやジム通いでいつも体を鍛えているからだ。

「ジムに行ったら、だいたいダンベルとかなら1つ持つときは8キロかな。下からグーと持ち上げたり、スクワットしたりとか。あとは寝ながらなら、ダンベル5キロずつで合わせて10キロ」

ステージに立って、歌う。それだけで実は相当、体力を使っている。足腰が弱くては腹の底から声を出すことさえ、ままならない。だから足をよく鍛えているという。

「特に左足のほうが弱いらしくて。右足とのバランスを取らないとあかんのに、取れてないんですよ、私。だから段差あるところに立って、左足だけ強く踏むという運動をやっているんです。10回ぐらいやって、休憩。そしたらもう一度といった感じで」

日ごろから鍛錬を欠かさないのは、もちろん歌のためでもあるが、実は3歳の孫と遊ぶためでもある。

「私の顔を見たら、〝みっちゃん、抱っこ!〟ってジャンプしてくるんやから。嫌なこと忘れさせてくれます。体力はいりますけど。もう体重も10キロ以上あるから、結構重い。でも、落としたらあかんから大変なんですよ」と顔をほころばせて話す。

もうひとつコロナ禍がひと段落したら、楽しみにしていたことがある。ファンとのウオーキングだ。昨年6月に3年8カ月ぶりに再開した。

「みなさん楽しみにしてて、たくさん集まってくれたけど、私もそうですけど、同じように年をとっていますから、みなさん1時間ほど歩くだけでも精いっぱいになっていますね。お弁当を食べた後はツーショットの写真を必ず撮るんですが、これがやっぱり楽しいみたいで、そこは変化はありませんでした。それでも、コロナ禍の3年間がすごい影響しているんですね。ほんと、憎きコロナですわ」

それだけにファンの思いも、自身の歌への思いも強くなっている。

「さっきも言いましたけど、ファンのみなさんも年を取ったし、体力も落ちている。でも、今のほうがなんか力強さを感じるんです。私自身もコロナ禍を経て、みなさんの前で歌えることが当たり前じゃないということを感じてからは、1曲1曲に対する思い入れが強くなりましたね」

新曲「人それぞれに」リリース

そんな中、リリースした新曲「人それぞれに」(キング)。実は20年前のアルバムに収録されていた楽曲で、レコーディング自体はさらにその9年前に行われたものだ。

「この曲は、誰も覚えてないんやないかなと思うの。私だって、アルバムに収録されたことだって知らんかったし、コンサートでも歌ったことなかったし。レコーディングしたころは、カバー曲とかたくさん録音していたから、もうそのことさえ忘れていたから。でも、改めて聴いてみると、ほんといい曲なんです。作曲した岡千秋先生は忘れられない1曲やっておっしゃってて」

人それぞれにさまざまな愛の形があると歌うスケールの大きな曲だ。

「テンポもアレンジも一緒で、違うのはキーが変わったことぐらい。歌うときは、あんまり余計なことは意識しないようにはしました。譜面通りに歌っていても、自分なりの個性が出てくるんです。後から聴くと、自分が出すぎているとか、このこぶしはいらないなとか、結構ありますから、そこら辺はちょっと意識したんですよ」

まだまだ現役。歌への思いがますます強くなっていく。そして円熟味を増している。

(ペン・福田哲士/カメラ・桐原正道)

■中村美律子(なかむら・みつこ) 歌手。1950年7月31日生まれ、73歳。大阪府出身。30歳過ぎから浪曲を始め、女流浪曲師の春野百合子に師事。86年に「恋の肥後つばき」でデビュー。「河内おとこ節」「島田のブンブン」や歌謡浪曲「瞼の母」などがヒット。92年、NHK紅白歌合戦に初出場。第41回日本有線大賞有線音楽優秀賞、日本レコード大賞最優秀歌唱賞(第39、50回)、日本作詩大賞(第25、40回)など受賞歴多数。2020年には文化庁長官表彰を受賞した。

23、24日に大阪・新歌舞伎座で「コンサート2024~夏だ! 祭りだ! ワッショイ!~」を開催する。

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