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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 中森明菜の〝育ての親〟肝煎りの新レーベル発足 2004年発売「赤い花」、韓国ドラマ「オールイン~運命の愛」で異例の企画

zakzak by夕刊フジ 2024年10月1日 11時0分

2004年4月。中森明菜は3部作シリーズのカバー・アルバム「歌姫」から命名したプライベート音楽レーベル「Utahime Records」をユニバーサルミュージック内に立ち上げた。

同レーベルの発足は、デビュー前から制作と宣伝を手掛け、ユニバーサル移籍でも尽力するなど明菜にとっては〝育ての親〟でもあった寺林晁氏の肝煎りだった。

明菜レーベル発足の裏には「歌手」としての明菜への収入も考えての特別なはからいがあったといわれる。当時、寺林氏は「歌手である中森明菜のプロデューサーは中森明菜自身ですからね」とした上で「『歌姫』は一味違った新しいフィールドへの始まり、その一歩なんですよ」とも語っていた。そんな寺林氏に応えるように、明菜も「情報や作品としてストレートに発信できるプラットホーム。そんな自由な空間が私の夢でした。新レーベルは、私の夢への第一歩。新しいチャレンジへの試行錯誤の向こうに、少しは成長した中森明菜の軌跡を残したい」と意欲をみせていた。

レーベルの基本コンセプトは「着物」だった。さらに「レーベル・ロゴ」とは別に明菜の花魁(おいらん)の「イメージ・ロゴ」も考案された。その後、ロゴはグッズを含めた明菜関連の公式商品に使われてきたが、レーベルの第1弾は5月12日に発売されたCDシングル「赤い花」だった。これは当時、NHK・BS2で放送されていた韓国ドラマ「オールイン~運命の愛」の主題歌のカバー曲だった。

「韓国の人気俳優、パク・ヨンハが歌うドラマの主題歌でしたが、明菜自身は5年もの間、この作品の構想を温めてきたようです」

そう振り返るのは古参の音楽関係者だが、作品の発売が決まると、韓流ファンの間から「明菜とヨンハによる夢の日韓競作」と沸き立つ声もあった。というのも「赤い花」の発売から僅か2カ月後の7月7日には、レーベル第2弾として今度は「赤い花」を原曲とした新曲「初めて出逢った日のように」も発売されたからだ。芸能関係者は振り返る。

「いくら韓国の人気ドラマ主題歌とはいえ異例な企画でした。そもそも1作品を2つの詞とアレンジで逆カバーすること自体が驚き。しかもヨンハのデビュー・アルバムに合わせて同時期のタイミングで発売するという…。昨今はK―POPがはやっていますが、こんな企画は明菜が最初で最後だったと思います」

もしかすると、この企画の根底には「ミ・アモーレ〔Meu amor é…〕」と「赤い鳥逃げた」があったとも言えなくもない。

いずれにしても当時のヨンハは、NHK総合「冬のソナタ」で、〝ヨン様〟の愛称で一世を風靡したペ・ヨンジュンの恋敵を演じて爆発的な人気となっていた。まさに奇を衒(てら)っての企画だったとも言えなくもない。

「レーベル設立のタイミングといい、ここまでの綿密な戦略はおそらく裏で寺林さんが動いていたことは明らかです。もちろん寺林さんに言わせると、前提はあくまでも『明菜のプロデュース』ですが、誰から見ても出来過ぎです。そもそも明菜の『赤い花』と『初めて出逢った日のように』発売の間(6月)にヨンハがデビュー・アルバム『期別(キビョル)』を発売するなど明菜とヨンハの連動企画だったのです」

とは先の芸能関係者の見立てだが、関係者によると、実際に明菜とヨンハとの連動を仕掛けたのは「赤い花」の作詞と作曲を手がけたキム・ヒョンソク氏だったという。

ヒョンソク氏は「オールイン~運命の愛」のほか、03年に日本でも公開され、話題となった韓国映画「猟奇的な彼女」の音楽も手がけるなど、韓国ではトップクラスの音楽家だった。

「明菜側の提案にヒョンソク氏も大ノリだったようです。明菜といえば韓国でも人気が高かったので断る理由などはありません。結局は両者にとってはウィンウィンの企画だったのです」(関係者) (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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