大原浩氏寄稿
バブル崩壊後の日本企業はなぜ長期低迷を余儀なくされたのか。国際投資アナリストの大原浩氏は、「米国型経営」と「小物の経営者たち」が元凶だと指摘する。政治の世界も同様で、スケールの小さい政治家では「大乱」の時代を乗り切れないと喝破している。
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1990年代のバブル崩壊以降、「日本型経営」にその罪が擦り付けられ、「米国型経営」がもてはやされた。政治・行政においても「日本の独自モデル」よりも「米国型」が正しいと喧伝(けんでん)されてきた。
だが、いくら「米国型」を導入しても「失われた30年」から脱出することができず、むしろ悪化したといえる。
米国型経営の「負の要素」を4つ挙げると、まず「プロ経営者の蔓延(まんえん)」である。いつ「雇い止め」になるか分からないプロ経営者は目先の業績改善ばかりを考えて、日本企業を長期的に疲弊させた。
2つ目は「コンサルタントの跋扈(ばっこ)」だ。プロ経営者との組み合わせは最悪だ。コンサルタントは企業の欠点を指摘し「これを改善しましょう」とささやく。しかし、企業の競争力を決定するのはずば抜けた長所であり、決して「欠点を改善してたどり着いた平均点」ではない。
3つ目は脱炭素を始めとする「SDGs(持続可能な開発目標)の不都合な真実」だ。リストラで「雇用の継続性」を破壊しながら、浮いた資金で「持続可能性を高めています」とうそぶくことである。
最後が、(自己保身のための)「コンプライアンス(法令順守)」だ。ルールを守ることは重要だが、「目的」のための「手段」である。
ところが、コンプライアンスの担当者は「目的」など考えずに、まるで秘密警察のごとく重箱の隅をつつく。これでは従業員が萎縮して、企業の活力が失われる。
規則には、古くなって役に立たなくなったものや、最初から意味がないものが存在するのが現実だ。そのような「無用なルール」を判断し「大局的な企業の成長のための英断」を行うのが経営者の役割であるはずである。
ところが、「米国型経営」によって経営者が「小物」になってしまったおかげで、「私はルールを守っています」という逃げ口上で保身を図る人物ばかりが目立つ。
さらに深刻なのは政治の世界だ。凶弾に倒れた安倍晋三氏が「最後の大物政治家」ではと懸念されるほど、政治家の「小物化」が著しい。
英国の「救国の英雄」とされるウィンストン・チャーチル元首相は、先代のネヴィル・チェンバレン元首相とは真逆の、粗野で傲慢な人物だった。しかし、ナチスドイツの台頭を許したのは「非の打ちどころのない紳士」のチェンバレンである。
筆者は、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻の頃から、「世界大乱」の時代に入ったと考えている。その時代のリーダーが「小物」では務まらないことは明らかだ。
「モリカケ、サクラ」に代表される「明確な証拠のない粗探し」や、私生活のスキャンダル、さらには些細(ささい)な間違いばかりを追う風潮が政治家、官僚、役人、経営者のスケールを小さくしている。そのような攻撃の防戦にエネルギーを費やしていれば、「本業の政治」がおろそかになるのは当然である。
筆者には、その象徴が現在の岸田文雄首相のように思え、「チェンバレンの再来」にも感じる。
果たして、日本に「救国の英雄」は現れるであろうか。それを決めるのは有権者である。大局的見地から日本の将来を見据える「大物政治家」を選ばなければならない。
■大原浩(おおはら・ひろし) 人間経済科学研究所執行パートナーで国際投資アナリスト。仏クレディ・リヨネ銀行などで金融の現場に携わる。夕刊フジで「バフェットの次を行く投資術」(木曜掲載)を連載中。