衆院選では自民党と公明党の与党が公示前から64議席減少させ、事実上の自民系など無所属も10議席減った。一方で立憲民主党が50議席増、国民民主党が21議席増加させた。結果として「自公」で74議席減少させたのを立民と国民が拾ったともいえる。その意味で、第三極の国民民主は存在感を示した。
石破茂政権は自民としては左傾化したので、野田佳彦代表の立民が少しだけ右傾化すれば、政策はほぼ同じになる。そうなれば、有権者が自民にお灸を据えるために立民に振り替えるのは自然だが、その流れのなかで、政策がよりまともな国民民主に一部流れたともいえる。
日本維新の会も議席を増やしてしかるべきだったが、兵庫県知事の問題への対応の不手際や維新内部の紛争が多少影響したのだろう。
日本保守党はまだできたばかりの政党であるが、3人の当選者を出し、総得票数の2%を確保して国政政党になった。ただし、保守党も一部の批判にさらされ、本来獲得できたであろう票が参政党などに流れたとの見方もできる。
ともあれ、自公が計215議席、立民と第三極などの野党と無所属で計250議席なので、まずはボールは野党にある。
考えられるのは、1993年の細川護熙内閣での非自民8党連立のような①非自公連立だ。
ところが、立民は野田代表への首相指名を野党に求めたようだ。これでは野党をまとめきれないだろう。ここで非自公連立を狙うなら、国民民主の玉木雄一郎代表を首相候補とするくらいの度量が必要だ。
非自公連立ができなければ、②自公と立民との大連立に走るだろう。これは唐突に思えるかもしれないが、94年の村山富市内閣での自民党、社会党、新党さきがけの連立の例がある。この場合、石破自民と野田立民は政策が似ているので、大連立は石破政権の延命につながる。大きな政治力が必要だが、可能性として排除できない。
大連立ができない場合、③自公と他の政党の連立がありえる。これは99年の第2次小渕恵三内閣での自民党、自由党、公明党の連立の例がある。
現状では国民民主や維新など各党は連立を否定している。その政党の代表を首相指名するとしたら別の議論も出てくるが、この線は薄い。
自公と他の政党の連立ではなく、④他党との閣外協力による部分連合があり得る。これは、96年第2次橋本龍太郎内閣での自民単独政権と社民、さきがけの閣外協力の例がある。
これもできないとなると、自公の少数与党の継続だ。これも前例があり、98年の小渕内閣だ。
今回、自公の大敗を受けて、政局となるのは必至だ。①から④のほか、その変化形もある。その政局で第三極が果たす役割は大きい。特に国民民主への期待は大きい。衆院選翌日の日経平均株価は691円上昇した。これまで「選挙は買い」とされてきたが、今回は選挙期間中、異例の値下がりとなった。それを調整する上げでもあったが、経済政策がまともな国民民主が議席を伸ばしたことも要因といえるだろう。 (元内閣参事官・嘉悦大教授 高橋洋一)