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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 中森明菜の根強い人気を証明 音楽史上初!男性歌手の名曲を集めた2003年のカバー盤「歌姫3~終幕」でミリオン達成

zakzak by夕刊フジ 2024年9月3日 11時0分

「明菜、アルバム・ミリオン達成!」

2003年の年の瀬、一部スポーツ紙がこんな見出しで記事を掲載した。それは、中森明菜が12月3日発売の最新アルバム「歌姫3~終幕」で「歌姫」シリーズがミリオンを達成したという内容のものだった。当時、ユニバーサルミュージックの営業担当者は振り返る。

「このアルバムは初回出荷を8万枚に設定してスタートしました。ところが、初日のバックオーダーが2万枚にも達して欠品になりました」

つまり、発売日初日だけで10万枚を出荷してしまったことになる。音楽業界に詳しい関係者が言う。

「メガヒット時代も一段落して、CDセールスの低迷が叫ばれ始めた中でしたからね。かつてのように初回出荷でチャートを上げようとはしなかったと思います(12月15日付で25位)。しかし、明菜はデビュー以来、廃盤となっているものやベスト盤を含めたアルバムのセールスが、この時点で1500万枚を突破していました。金額に換算するとおよそ450億円にも達するものです。当時、発行の(業界の音楽情報誌)『オリジナルコンフィデンス』によると、女性歌手のアルバム総売り上げ枚数は松任谷由実の約2900万枚がトップで、明菜は浜崎あゆみや宇多田ヒカルらとともにベスト10入りをしていました。これは、明らかに明菜の根強い人気を証明していました」

改めて「歌姫」シリーズについて記すと、このアルバムのシリーズは1994年3月に第1弾「UTA―HIME」をMCAビクター(現ユニバーサルミュージック)から発売したことがスタートだった。

「ボーカリストとしての明菜の魅力をアピールしたい」というのが基本コンセプトだった。このため、あえてオリジナルではなく他アーティストの名曲をカバーした。前出の関係者が言う。

「当時、明菜クラスのポップス系のトップアーティストがカバーアルバムを発売なんてあり得ないことでしたからね。ある意味で画期的なことだったのです」

アルバム「UTA―HIME」では「ダンスはうまく踊れない」や「思秋期」「終着駅」など昭和歌謡の名曲をカバーし、当時の売り上げで30万枚を記録した。

その後、ややブランクがあったものの、デビュー20周年を迎えた2002年にユニバーサルミュージックに移籍して復活したが、そこでは永遠のライバルと言われ続けてきた松田聖子の「瑠璃色の地球」や山口百恵の「秋桜」にチャレンジした「ZERO~歌姫2」を発売。同アルバムは60万枚のビッグ・セールスとなった。そして「歌姫3~終幕」は文字通り第3弾のカバーアルバムとなった。

前出の営業担当者は「歌姫シリーズが10周年を迎えるということもあり、その〝ファイナル企画〟としてタイトルを決めましたが、内容は『新しいことにチャレンジしていきたい』という明菜の提案に基づきました」

トータル・コンセプトは「世の男性諸氏に送る歌姫・明菜の世界」だった。つまり明菜が男性アーティストの名曲をカバーするという壮大な企画だったのだ。

すでにこの頃、音楽業界はカバーブームだったが、そんな中でも女性アーティストが男性アーティストの作品ばかりを集めカバー盤を出すのは音楽史上初めてのケースとして注目された。

収録曲は井上陽水の名曲「傘がない」や松山千春の「窓」をはじめ、村下孝蔵「踊り子」、南佳孝「スローなブギにしてくれ」、安全地帯「恋の予感」といったニューミュージック系の作品から、さらには石原裕次郎「夜霧よ今夜もありがとう」、内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」。また、郷ひろみの「ハリウッド・スキャンダル」やB'z「ALONE」にもチャレンジした。

前出の営業担当者は「カバーアルバムであっても〝歌姫・中森明菜〟のあるべきポジションを想定した作品集となっていました。アレンジは千住明氏が担当し、オーケストラを使った厚みのあるものでした。いずれにしても予想を上回る反響が寄せられました」。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

妖艶なジャケット写真も話題を呼んだ「歌姫3~終幕」

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