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テレビ用語の基礎知識 「電車テレビ」で無理やり見させられるストレス 嫌でも目や耳に入ってくる〝不可避コンテンツ〟内容はテレビより気を使うべきでは

zakzak by夕刊フジ 2024年8月29日 6時30分

電車の車内モニターで「電車のテレビ」を自称する「広告ではない短い動画」を最近よく見ますよね。

退屈しのぎにはちょうど良いのですが、こんな話をある女性から聞きました。

「電車の中で、頑張っている母親とよくできた子供の話の動画が流れていて、あれを見るたびに〝お前の子育ては間違ってる。あるべき親子の姿はこういうものだ〟と言われているような気がしてへこむ」

これ、「働く親の姿を子供が見る」みたいな企画なのですが、確かに理想的な親子が必ず出演していて、「なんだかできすぎた話だな」と私も思ったりしました。こうしたコンテンツの受け止め方は人それぞれですから、賛否両論あって当然なわけで「いい話を見て感動した」という人ももちろんいると思います。

ただ、電車の中なので、見たくないと思っても避けようがないのがツライところですよね。電車に乗る限り、目に入らざるを得ない。まあ、画面を見なければいいのかもしれませんが、車内にたくさんモニターがついていて嫌でも目に飛び込んでくるという感じです。いわば「不可避コンテンツ」とでも言うのでしょうか。

こういう「不可避コンテンツ」の内容をどうするかというのはかなり悩ましいところですよね。老若男女、誰にも不快に思われないようにしなければならない、という無理ゲーになってきます。

ちょっと前に渋谷の街頭で「妙に耳につくお店の宣伝ソング」が繰り返し流されていたことがあって、頭の中でその歌がグルグル回ってかなりイライラしたことがあります。これも「渋谷へ行ったら嫌でもその歌を聴くのを避けられない」という意味で「不可避コンテンツ」だと思うのですが、映像とか音声を嫌でも聞かなければならないという状況はかなりストレスが強いですよね。

地上波テレビも似たような「不可避コンテンツっぽい」ものですが、それでも「消す」ことはできるわけです。つまり「電車テレビ」や「街頭放送」のコンテンツ内容はテレビより気を使わなければならないわけですよね。

きっとこの「電車テレビ」は、合間に流れる「動画広告」を見てもらうために、つまり車内のモニターへの注目度を高めるために始まったのだと思います。少子高齢化で鉄道会社の経営がどんどん厳しくなる中で、収益を確保するためにやむを得ないのでしょう。

でもなぜか「広告より広告じゃないコンテンツ」のほうが無理やり見せられるとツライ。今後どんなコンテンツを電車で流していくのか…注目したいと思います。

■鎮目博道(しずめ・ひろみち) テレビプロデューサー。1992年、テレビ朝日入社。「スーパーJチャンネル」「報道ステーション」などのプロデューサーを経て、ABEMAの立ち上げに参画。「AbemaPrime」「Wの悲喜劇」などを企画・プロデュース。2019年8月に独立。新著『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)が発売中。

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