実験性の強い短編集
――10年ぶりの短編集
「(短編は)20代後半のころに、よく書いていたけれど、その後は長編を書いた後ごとに書いていたくらいですね。好きか嫌いか? で言えば短編は好きです。実験的な書き方ができるし、ディテールを細かく書き込まなくてもいい自由さもありますしね。でも、評価されるのは長編の方が多くて…(苦笑)」
――次々とページをめくりたくなる作品ではなくて、そこに、ずっととどまっていたいような作品を書きたい、と
「〝ページをめくる手がとまらない…〟といった(本の)宣伝文句が多いでしょ。それに違和感があるんです。僕が本を好きになったときは〝ぐっと引き込まれて感慨に浸りたい〟〝その世界にずっととどまっていたい〟気持ちになって、むしろページはめくりたくない。短編についても『絵に描いたようなうまい』作品は好きじゃなくて、もっと思想性と実験性の強い短編を書きたいですね」
――今回の短編集はコロナ禍のときに書いた
「(あの時期は)世界がパラレルワールドに突入し、どこに足を踏み入れてしまったのか分からないような感覚がありました。緊急事態宣言が発令されて、街から人が消えたり、飛行機が止まったり、全員がマスクをしていたり。そして人間の距離感が変わり、人と会う頻度が減った。作家によっては取材に出られなくなったり、新作のプロモーションができなくなったり…。僕は新聞連載の途中で、仕事は止まらなかったけれど、ストレスはありましたね」
――『富士山』はコロナ禍の最中、マッチングアプリで知り合ったアラフォー男女の物語
「(アラフォーは)女性の場合『出産』を希望しているならギリギリのタイミングになりがち。それなのにコロナ禍によって『出会い』のチャンスが無くなってしまった。マッチングアプリでさえ、直接会うことが難しくなる…。僕の周りにもそのために悩んでいる女性たちがいました」
――物語のキーになっているのが、少女の「SOS」サイン
「コロナ禍でステイホームになり、DV(家庭内暴力)が増えたことでつくられたサインだけど、日本ではあまり広がってないですね。誰もが知っているサインじゃないからこそ、見たとき、自分が介入すべきかどうか、判断が分かれるでしょう。そういった『性格』が現れるのも物語として面白いと思ったのです」
――まさしく「一瞬の判断」がこの男女の人生を変えてしまう
「僕は『自己責任論』が嫌いなんですよ。(不幸なのは)自分のせい、とか、努力が足りない、とか。もちろん、社会構造的に貧富の差は生まれますし、世代的な問題もあります。しかし、人生はそれだけじゃなくて、もっと『どうしようもない偶然』に左右されているのではないか。(人生を変えるような)瞬間が人生には満ち満ちているのだと思います。そんな物語を書きたかった」
――アラフォーは平野さん(49歳)より少し下の世代
「作家は、自分の年齢が上がるにつれて、作品の登場人物の年齢も上がっていきがちです。僕も『マチネの終わりに』や『ある男』のころは同世代を描くことが多かった。でも『本心』(2021年)くらいから、自分より下の世代を意識して書くようになりましたね。40代というのは、転職を考えたり、もっと違う人生があったのでは、と悩んでみたりする時期でしょう」
自身の体験が元に…
――『息吹』の主人公は、あるきっかけで大腸内視鏡検査を受けた男が「もしも受けていなかったら…」という妄想に取りつかれてしまう物語
「これは僕自身の体験が元になっています。あるとき、めったに会わない知人から『大腸内視鏡検査を受けてポリープが見つかった』という話を聞いて、僕も受けてみようかなと。そうしたら実際に僕もポリープが見つかったのです。結構大きくて医者からは『放っておいたらガンになったかもしれない』と聞いて、ショックを受けました。もし〝めったに会わない〟知人からこの話を聞かなかったら…って。この体験がすごく生々しかった。年齢的に、周りでがんになる人もいますし、亡くなった友人もいます」
――アラフォーは体の曲がり角でもある
「僕が40代になったときは、『メンタルヘルス』の方を心配しました。周りにうつ病になった知人もいましたから。どうやってメンタルの問題を乗り越えるか、と。ところが40代も後半になると、『フィジカル』の方にガタがくることを実感しました。体のあちこちに不具合が出て来るし、周りとも(検査の)数値の話になったり。一般人は医学の専門知識もないし、ネットの情報は不安にさせることばかり。あれは良くないですね」
――本が売れない時代ですが…
「僕は二極分化だと思っています。読む人と読まない人との…。世界を見渡してみても、ある一定以上の人口を持つ国では『純文学マーケット規模は変わらない』というデータもあるようです」
■『富士山』(新潮社)1870円税込み
〝アラフォー〟の男女はマッチングアプリで知り合って半年、浜名湖へ初めての旅行へ出掛ける。だが、停車駅のホームでSOSのサインを送る少女を見つけた女は、助けようと、ひとり新幹線を降りてしまう。2人はその出来事をきっかけにぎくしゃく。女はやがて衝撃的なニュースを耳にする…。表題作の『富士山』など5つの短編集。
■平野啓一郎(ひらの・けいいちろう) 1975年、愛知県出身。49歳。作家。京都大学法学部卒。大学在学中に文芸誌に書いた『日蝕』で99年、芥川賞受賞。当時最年少の23歳だった。主な作品に『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)、『ある男』(読売文学賞受賞)、『本心』『三島由紀夫論』など。
(取材・梓勇生/撮影・安元雄太)