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ソロデビュー40年 荻野目洋子の輝く理由 グラミー賞プロデューサーとの出会いが転機、荻野目洋子の音楽との向き合い方に変化 「普段の生活が歌にも現れるんだ」と思うように

zakzak by夕刊フジ 2024年8月7日 6時30分

「ダンシング・ヒーロー」でブレークした荻野目洋子は1986年から4年連続で日本レコード大賞の金賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも5回出場する一方、複数のドラマや映画で主演を務めるなどトップアイドルとして活躍を続けていく。

「当時の現場は本当に熱くて、連日『もっといいものができないか』と話し合いを重ねていました。『六本木純情派』(86年)からは沢田研二さんを担当されていた早川タケジさんが衣装デザインをしてくださって、ビジュアル面でもきらびやかな世界観になったと思います」

一流のスタッフが集結したプロジェクトは87年、ヒットメーカーの筒美京平を作曲に初起用した「さよならの果実たち」をリリース。シングルチャートで初の1位を獲得する。

「『六本木純情派』や『さよならの果実たち』の世界は、私が体験していないものでした。実際は夜遊びして朝帰りしたことも、ドライブしたこともないのに、そういう歌を歌っている。1位になった現実とのギャップに葛藤を感じ始めた時期でもありましたね」

そんな彼女に転機をもたらしたのが、ホイットニー・ヒューストンやアレサ・フランクリンの作品でグラミー賞を受賞していた音楽プロデューサーのナラダ・マイケル・ウォルデンだった。荻野目の声にほれ込んだ彼はサンフランシスコにあった自身のスタジオで全編英語詞のアルバム「ヴァージ・オブ・ラヴ」(88年)の制作にあたる(89年には日本語盤もリリース)。

「日本とはまるで違う作り方で、プロフェッショナルな仕事ぶりにカルチャーショックを受けました。私自身は世界のレベルを知って自分との力量差に愕然としてしまったんですけど、ナラダさんは褒め上手で、いつも『ヨーコ、リラックスして!』と励ましてくれて」

朝はテニスやジョギングを楽しみ、仕事は午後から集中して行う彼のライフスタイルにも刺激を受けて、音楽との向き合い方が変わったという。

「それまでは仕事とプライベートを分けて考えていたのですが、ナラダさんとの出会いで普段の生活が歌にも現れるんだと思うようになりました。すてきな楽曲ばかりですので、今一緒にツアーを回っているバンドの演奏で、いずれナラダさんの曲をお届けしたいと考えています」 (濱口英樹)

■荻野目洋子(おぎのめ・ようこ) 1968年12月10日生まれ。84年「未来航海」でデビュー。85年「ダンシング・ヒーロー」でブレークし「六本木純情派」などのヒットを連発。2001年に結婚、3児の母となる。4月3日に40周年記念曲「Let’S Shake」を配信リリース。現在全国ツアー中で8月31日は長野市芸術館メインホールで開催する。

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