大スクリーンでおなじみのIMAXシアターは新年1月10日から《スティーヴン・スピルバーグ映画祭》を開催する。伝説的メガヒット作「ジョーズ」(1975年)、「E.T.」(82年)、「ジュラシック・パーク」(93年)を順次公開。3作品とも当時の世界歴代興収記録を更新し、日本でも熱狂的ブームを巻き起こした。
ウクライナ系ユダヤ移民の家庭に生まれたスピルバーグは根っからの映画小僧だった。12歳で8ミリの短編を、14歳で40分の戦争映画を作った。カリフォルニア州立大学に入学してユニバーサル撮影所に潜り込み、テレビ映画の演出を任されるようになる。
前述の「ジョーズ」は夏の海水浴場に人食いザメが出没する低予算のパニック映画。若くして最も稼ぐ監督になったスピルバーグは続く「未知との遭遇」(77年)やシリーズになった「レイダース/失われたアーク(聖櫃)」(81年)などヒット作を連発する。
宇宙人と少年の友情を描いた「E.T.」の公開直前に来日。着古したセーター姿でインタビューに現れた彼は構えたところのない無精ひげの若者で、映画小僧がそのまま大人になっているような印象を受けた。
「私の映画にテンポがあるとしたら、それは母がいつもセカセカしていたからだよ。母は思い込んだら一直線というタイプだった。もし夢のある映画が私に作れるとしたら、それは私自身がいつまでも子供だからさ。子供は素質のまま、自然な演技をしてくれる」
やがて家族のルーツと重なる「シンドラーのリスト」(98年)でアカデミー賞作品賞と監督賞を獲得、名実共にハリウッドの巨匠になる。私生活では女優のエイミー・アーヴィングと結婚。再婚したケイト・キャプショーとの間に6人の子供と1人の養子がいる。
■スティーヴン・スピルバーグ 1946年12月18日生まれ、78歳。米オハイオ州出身。
■垣井道弘(かきい・みちひろ) 1946年、広島県三原市生まれ。明治大学文学部卒。週刊誌「女性自身」の記者を経て、映画評論家になる。著書に「MISHIMA」(飛鳥新社)、「今村昌平の製作現場」(講談社)、「ハリウッドの日本人」(文芸春秋)、「緒形拳を追いかけて」(ぴあ)などがある。