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久野潤 昭和19年・日本軍の戦い レイテ沖海戦 戦艦「大和」「武蔵」擁する栗田艦隊が〝謎の反転〟失われた最後の勝機 戦域かつ動員で「史上最大の海戦」

zakzak by夕刊フジ 2024年8月31日 10時0分

サイパン失陥後、東條英機内閣に代わり小磯國昭内閣が成立した。太平洋の防衛線が千島~本州~台湾~フィリピンに再設定されるなか、米軍は昭和19(1944)年10月18日にフィリピン中部のレイテ島に上陸した。直前の台湾沖航空戦で300機以上を失っていた日本海軍は、最後の艦隊決戦を挑んだ。

いまだ46センチ主砲で敵艦と交戦なき世界最大の戦艦「大和」「武蔵」を擁する栗田艦隊が、北からのレイテ突入のためブルネイを出撃した。さらに西村艦隊と、志摩艦隊が南からのレイテ突入を目指し、それらの艦隊から敵機動部隊による航空攻撃をそらすため、少数の艦載機しかもたぬ空母「瑞鶴」以下の小沢艦隊が内地から南下していた。

米機動部隊は、主力と見せかけたオトリである小沢艦隊より先に、同24日、栗田艦隊を攻撃した。シブヤン海で「武蔵」が集中攻撃を受けて撃沈されるも、進撃を続けた栗田艦隊は同25日、サマール島沖で米護衛空母部隊と交戦した。この間、西村艦隊はスリガオ海峡夜戦で壊滅し、志摩艦隊も撤退した。小沢艦隊はルソン島エンガノ岬沖で全4空母を撃沈されつつ米機動部隊をおびき寄せることに成功した。ところが、栗田艦隊がレイテ湾を目前に〝謎の反転〟をしたため、最後の勝機が失われた。

以上4海域での戦闘の総称である「レイテ沖海戦」は、日本側は空母4・戦艦9・重巡洋艦13・軽巡洋艦6・駆逐艦34など、米国側は(上陸部隊を除き)空母35・戦艦12・重巡洋艦10・軽巡洋艦15・駆逐艦141などが参加した、世界史上最大戦域かつ最大動員の海戦である。

栗田艦隊の反転理由については諸説あるが、「大和」通信士として海戦に参加し、艦橋配置で艦隊司令部の様子も知る都竹卓郎(つづく・たくろう)元海軍大尉(故人)は「オトリ艦隊がいたのに、フィリピンの島々には味方飛行場もあるのに、栗田艦隊は1機の援護もないまま、ブルネイ出撃から帰還まで、敵機動部隊の延べ19回・約1000機の攻撃にさらされました。そのうえで敵機動部隊と刺し違えるならともかく、栗田長官もカラになった輸送船攻撃のために部下2万人を犠牲にしたくなかったんでしょう」と筆者に語った。

大東亜共栄圏の一角フィリピンを守るため、空母4・戦艦3・巡洋艦10・駆逐艦9などが撃沈された日本海軍は、作戦能力をほぼ失った。しかし、本海戦で日本軍はもう一つ、空前絶後の戦術を展開していたのである。

■久野潤(くの・じゅん) 日本経済大学准教授。1980年、大阪府生まれ。慶應義塾大学卒、京都大学大学院修了。政治外交史研究と並行して、全国で戦争経験者や神社の取材・調査を行う。顕彰史研究会代表幹事。単著に『帝国海軍と艦内神社』(祥伝社)、『帝国海軍の航跡』(青林堂)など。共著に『決定版 日本書紀入門』(ビジネス社)、『日米開戦の真因と誤算』(PHP新書)など。

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