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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡 完璧主義の中森明菜、14年ぶりの「紅白」無事に歌い終わったが…寂しさ感じ「もう、いいのかな」

zakzak by夕刊フジ 2024年7月23日 11時0分

中森明菜の14年ぶりとなった「NHK紅白歌合戦」復帰(2002年12月31日)は改めて明菜のストイックな一面をのぞかせる、いわば究極の場となった。

当時を知る音楽関係者は「言葉の使い分けもあるが」と前置きしながら次のように振り返る。

「おそらく明菜の場合はストイックより、どちらかというと完璧主義者といったほうが分かりやすいかもしれません。意味合いは一緒ですが、とにかく明菜は仕事面では几帳面というより頑固で融通が利かない…。それもアーティストである以上は当然ですが、一方で思い込みも激しかった。その部分で、どうしても精神的にも参っちゃうんじゃないでしょうか。とにかく私生活との落差というのは激しかったように思いますね」

「紅白」では1984年のヒット曲で、シンガー・ソングライターの井上陽水が明菜のために書き上げた「飾りじゃないのよ涙は」が歌唱曲となったが、リハーサル初日だった12月29日は、演奏とのキーが合わずに何度も中断し、終了後もスタッフとの間で確認作業が続いたのだ。

「とにかく自分が納得しないと気が済まないし、スタッフにも激怒する。特に音合わせは物々しい雰囲気でした。ステージでは何度も明菜が首をかしげていました。当然、リハもストップしてしまい、さすがにNHKホールは重苦しいムードが漂っていました」(プロダクション関係者)

結局「キーがちょっと高い」というのが明菜の主張だったが…。前出の音楽関係者は「事務所とNHKとの連絡のやり取りに問題があったのでしょうが、明菜の場合はキーに限らず、演奏や自分の立ち位置も含め気になったことは曖昧にせず納得するまで改善しようとする。これはレコーディングでも同じで、ディレクターだけではなくエンジニアにも細かく指示するほどだったと言いますから。とにかく自分が表現することに関しては、基本的に100%納得しないとダメだったのだと思います」。

そして、本番が来た。

明菜は黒のビキニにシルバーのロングジャケット、パンツ姿で登場した。もちろん14年ぶりの出場ということもある。明菜にとってはファンを意識した衣装でもあった。「ファンから喜んでもらえるのが一番だから、『やった、明菜! ありがとう』って言ってもらいたいと思った」と意気込んでいた。

この年の「紅白」は、それまで出場を拒み続けてきたシンガー・ソングライターの中島みゆきが初出場し、黒部第四ダムからの生中継で「地上の星」を歌うという話題もあり、視聴者の注目度も高かった。明菜は楽屋で気持ちを整えていたという。

「あれだけ場数を踏んでいても、ステージに立つまでは不安と緊張でいっぱいになるようです。『紅白』の時も本番直前になっても会場に姿を見せず、スタッフもバタバタしていましたね。『中森明菜さん、速やかにスタンバイしてください』とアナウンスが流れていました。かなりギリギリになって出てきましたが、実に不安そうな表情でした。本当に緊張していたのでしょうね」(前出の音楽関係者)

歌は、この年のみ紅白交互出演の順番を崩して、明菜は安室奈美恵との「同組対決」となったが、無事に歌い終わるとバックを務めたバンドのメンバーに何度も頭を下げ、「やっと終わりました、ありがとうございました」とお礼をしていた。

「紅白」が終わり、数日たった時だった。明菜に「紅白」の感想を尋ねたことがあった。すると「実はちょっと寂しいところがあったんです」と言うと、言葉を選びながら、「『紅白』って、私が毎年出ていた頃は衣装とか、歌について『すごいきれいだったよ』とか『振り付けがカッコよかった』とか『かわいかった』って、楽屋でお互いに思ったことを言っていたんです。それで緊張がほぐれていた部分もあったんですけど、それがまったくなくて…。もちろん時代の流れかもしれませんが、だからもう、いいのかなって…」。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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