良い小説を書くために己をどれだけ懸けられるかという蝉谷めぐ実さん。本作の主人公である江戸期の歌舞伎役者も芸のためなら何だってやる男だ。それに魅せられ、絡めとられてゆく人たちの姿がとっても「コワ面白い」!
――江戸時代の歌舞伎の世界を舞台にした
「大学(早稲田)は文学部に入ったのですが、その中で演劇映像コースを、そして歌舞伎のゼミを選びました。卒論も江戸の町人文化が花開いた文化・文政期の歌舞伎をテーマに書きました。大学3年生のときにはもう三島由紀夫の作品に惹かれて小説家を目指していたので、小説を書くために集めた資料を卒論に使ったという感じですね」
――歌舞伎好きは幼いころからですか
「祖母が高校の古典の教師で、よく京都の南座などへ歌舞伎を見に連れて行ってもらいました。ただ、当時はそれほど歌舞伎に入れ込んでいたわけではなく、やはり大学に入ってからですね。女形(おんながた)の役者がどんな暮らしをしていたのか、とか、いろんな役者の芸談を聞いているうちに、もっと詳しく調べてみたい、と惹かれていきました」
――今作の主人公は「芸のため」なら何でもやる歌舞伎役者(今村扇五郎)。モデルはいますか
「うーん、特定のモデルはいません。それこそいろんな芸談のエピソードで面白いものを少しずつ集めて人物造形をしました。たとえば『芸のためなら何でも…』といったところは『藤十郎の恋』(菊池寛作、初世・坂田藤十郎をモデルにして映像化、漫画化もされた)にも取り上げられたエピソードを入れています」
――扇五郎に魅せられ次第に人生を狂わされてゆく人たちの姿が面白い
「一般的に『狂う』には悪い印象の方が強いと思います。ただ、本人にとっては『新たな自分の一面』を見ることができたとか、他人から見れば地に堕ちたように見える人生でも、自分的には『前に進んだ』と思うかもしれません。『悪』にもグラデーションがあるように(登場人物によって)狂気に彩りを持たせて描いたつもりです。周りの人間にとっては不幸でも本人は幸福なこともあるはずで、もしかしたらそれこそが芝居の究極の形なのかも」
――登場人物に自己投影しますか
「これまで書いた全ての作品の登場人物に、私の分身が少しずつ入っていると思います。(今作でも)芸の為には何でもやるというか、好きなことにどれだけ己を懸けられるかという点なら私も分かる。私の場合『良い小説を書くために』になりますが。特に〝黒い部分〟というか、妬み嫉(そね)みといったところは筆が乗ります(笑)」
――文章に独特のリズムがある。これも江戸時代へのこだわり
「文章の流れや拍子はすごく気にしますね。というのも私が書きたいのは『江戸の空気感』や『息遣い』が感じられる小説なんです。江戸の人間と現在では話している言葉も違う。だから、当時の様子を知るために落語や講談を参考にしたりもします。もちろん(独特のリズム感があるがゆえに)読みづらさがあることも分かってはいるのですが、私としては、『江戸』にこだわりたい気持ちの方が強いです」
――では「江戸」の魅力はどこに
「江戸時代の歌舞伎を勉強したことをきっかけにいろんな歴史・時代小説を読み始め、その時代特有の倫理観、価値観があることを知りました。特に文化・文政期はそれまで上方中心だった文化がどんどん江戸に流れていった時代で、いろんな人間の価値観が入り混じっている。そういった空気感を文章で表現したいんです。東京で生まれ、育った人間ではない(蝉谷さんは大阪出身)からこそ、気付く『江戸の良さ』もあると信じています」
――これからも歴史時代小説を
「デビュー前は歴史・時代小説はハードルが高いと感じていて、現代小説を書いていました。でも(新人賞の)最終候補になんとか残れても、受賞には届かない。じゃあ、もういっそ自分の好きなもの(江戸歌舞伎)を好きなように書こうと決めたんです。歌舞伎のテーマ自体は今作でひと区切りですが、(江戸歌舞伎の世界は)掘れば掘るほど面白い。いずれそこへ戻ってゆくことになると思います」
――本が売れない時代。将来の展望は
「今の時代は『コスパ』が大事。映像も3倍速で見る人がいると聞きます。でも、動画と小説は同じ娯楽でも受け取り方が違って、見る(読む)方の頭の働かせ方も違います。人間は常に娯楽を求め続ける生き物だから、活字は今後も無くならないと思うし、逆にその『違い』こそが武器になるかもしれません」
江戸歌舞伎の花形役者、今村扇五郎は〝つっころばし〟と呼ばれる和事の芸風で高い人気を得ている。その芸を極めるためには、まったく遠慮会釈なし、何でもやる。その扇五郎に無条件の献身を続ける女房、お栄をはじめとした周囲の人間は惑わされ、人生を狂わされてゆく。犬殺しからついには、若手役者の殺人の嫌疑まで掛けられてしまった扇五郎の真の狙いとは?
せみたに・めぐみ 1992年、大阪府出身、32歳。早稲田大学文学部卒。2020年『化け者心中』で小説野生時代新人賞を受賞し、作家デビュー。同作は日本歴史時代作家協会賞(新人賞)、中山義秀文学賞も受賞した。『おんなの女房』で野村胡堂文学賞、吉川英治文学新人賞を受賞。24年『万両役者の扇』で山田風太郎賞を受賞した。歴史・時代小説のジャンルで活躍中。
取 材・梓 勇 生/撮 影・相川直輝/レイアウト・加藤洋介