近頃の映画館では珍しい光景だった。
平日の午後なのに8割方、席が埋まっている。が、その殆(ほとん)どが老人なのだ(自分だって。ごもっとも)。
しかし、チケットを買う時に気づいたのだが、その老人たちが、スマホでチケットを予約購入しているのだ。ぼくのように窓口で札を出している人なんてほとんどいない。
うーん、やっぱりもうガラケーは終わったか。
なんで、こんなに老人が多いのかというと、上映中の作品が老人を主人公とした映画だからなのだ。
『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』。
原作は、世界37カ国で刊行され、累計600万部の大ベストセラー小説。
本業は俳優のレイチェル・ジョイスが2012年に初めて書いた小説『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』。
イギリス文学界の最高の賞、マン・ブッカー賞にノミネートされ、日本でも2014年、本屋大賞の翻訳小説部門で2位になったという(現在は講談社文庫で入手可能)。
この小説は知らなかった。
老人が主人公というので、なんとなく敬遠していたのかもしれない。
ビール工場を定年退職し、イギリス南部の町キングスブリッジで妻と2人、静かな引退生活を送っていたハロルド・フライという65歳の老人に、ある日、一通の手紙が届いたところから物語が始まる。
かつてビール工場で共に働いていた同僚女性クイニーからの手紙は、クイニーが現在、イングランド北部の町のホスピスで療養中、もう余命わずか……との報せだった。
かつて息子の死でショックを受け、工場で暴れ、首になりそうだったハロルドの身代わりとなって会社を辞めた彼女。お互いにほのかな恋心を抱いていた(らしい)が、実らなかった。
そのクイニーからのお別れの手紙。
返事を書いたが、ショックを受けたハロルドは、投函(とうかん)する気になれない。何気なく、彼女のことを話したガソリンスタンドの女店員のひと言がハロルドにある決断を。
「信じる心で伯母のガンがよくなった」
その言葉に心動かされたハロルドはすぐにホスピスに電話をかけ、伝言を頼んだ。「今から、歩いて会いに行くから、それまで生きていてくれ」
準備もせず家を出たときの身なり。ビニール袋ひとつのほか何も持たないまま、いきなりハロルドの800キロの旅が始まる。
日中はひたすら歩き続け、夜は安宿か野宿。デッキシューズはボロボロになり、脚も腫れ上がり、とうとう行き倒れになったハロルド。
たまたま出会ったスロバキアから移住、医師免許を持っているのに清掃の仕事しかない女性が介抱してくれた。
旅を続けながらさまざまな人と出会い(犬も)、自分の過去を見つめ直すハロルド。
徒歩の旅が新聞に報じられ、いっとき、ヒーロー扱いされるハロルド。
が、この旅はひとりで歩き続けなければならない。クイニーのために――。そして自らのために――。
旅の結末はぜひ映画をご覧いただきたい。
「まさかの旅立ち」の本当の意味がわかるのは映画を見終わってからだ。
イングランドの南から北へ800キロ、その美しい風景も、この映画の見どころのひとつだ。