欧州各地を巡るシニアツアーにフル参戦したことで、様々なことを経験しました。見知らぬ国で耳にしたこともない言葉や風習、初めてラウンドするコースなど刺激に溢れていました。
トーナメント開催週には日本と同じくアマチュアゴルファーをゲストに迎えたプロアマ大会が行われます。日本ではラウンドを終えてから表彰式を兼ねたパーティーがあり、日が沈む前にはお開きになりますが、欧州ではプレー後のパーティーがメインのように感じました。
午後7時からグラスを交わしながらの飲み会が始まり、午後9時くらいから料理が運ばれての食事会となるのが常でした。ラウンドと同じくらいの時間をゲストとパーティーで過ごすのです。
しかし、それでも翌日のプレーに支障がないように午後11時には宿泊ホテルには戻れたし、ティータイムは午前9時に設定されていました。
転戦の合間に各地の名所旧跡を訪ねたり、ツアー仲間からは自宅に招かれたりすることもありました。イングランドへ渡った時のことです。イアン・ポールターからお誘いを受け、「地図が必要か」と問われたのですが、住所さえ分かれば行けるだろうと思ったので「大丈夫」と答えました。
でも、それがまずかったのです。ポールターはエリザベス家かどこかの名家の出身だったみたいでした。レンタカーで大豪邸の入り口前に到着したものの、玄関にはなかなかたどり着けないのです。広大な庭にデカイ池と噴水、まるで宮殿のようです。敷地内にはゴルフコースもありました。
あとで知ったのですが、豪華ホテルのように朝食用、夕食用にそれぞれの間があるほどの大御殿。「地図は必要か」とは敷地内で迷子にならないようにという心遣いだったとハンドルを握りながら気づいたのでした。
豪邸内も絢爛豪華の一言。ここは美術館か? と勘違いするほどの何畳分もある大きさの絵画が飾られていたのです。
「これ、おいくら?」と尋ねると「6億円かな」の返答には度肝を抜かれました。思わず「頂戴よ」と言ったものの、首を横に振りながら「NO」と断られ、二人で大笑い。ポールターの自宅も、世界も広いと感じた思い出の一コマです。
(構成・フリーライター伝昌夫)
■海老原清治(えびはら・せいじ) 1949年4月2日生まれ、千葉県出身。中学卒業後に我孫子ゴルフ倶楽部に入り、20歳で日本プロゴルフ協会プロテストに合格。85年の中日クラウンズでツアー初優勝。2000年から欧州シニアツアーに本格参戦し、02年に3勝を挙げて賞金王。20年、日本プロゴルフ殿堂入り。174センチ、74キロ、血液型A。我孫子ゴルフ倶楽部所属。