「年収の壁」撤廃が世の中の話題になるなか、「増税・負担増」路線が再始動している。首相の諮問機関の政府税制調査会で、同じ会社に長く勤めるほど退職金への課税が優遇される制度の見直しについて議論が始まった。退職金課税の強化は、昨年の岸田文雄政権当時にも政府税調の中期答申に盛り込まれたが、「サラリーマン増税」と大炎上し、岸田前首相らが打ち消しに走った経緯がある。いったん葬られたはずの増税案が、税調メンバーが代わり、石破茂政権誕生を受け、ゾンビのように蘇ってきた。
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退職金への課税は現在、勤続20年を超えると、所得計算時に控除できる額が年40万円から70万円に増える仕組みだ。差し引いた額に2分の1をかけ、所得に応じた税率をかけた金額が納税額となる。
政府税調は15日の会合で、退職金課税を見直すかどうかの議論を開始した。財務省は控除額が変わる現行の仕組みが30年以上変わっていないと説明した。
与党税制調査会でも月内に本格化する2025年度の税制改正論議で、退職金課税を議論する。自民党の宮沢洋一税制調査会長は15日、25年度の税制改正論議を見据え「議論をしていくことになる」と明言、25年度税制改正大綱への反映を模索する。
退職金控除の見直しが持ち上がったのは、昨年6月の政府税調が出した中期答申だった。「サラリーマン増税」との批判を受けると、宮沢氏は7月、「政府税調はものを決める機関ではない」とし、中期答申は「今の政府税調のメンバーの最後ということで、『卒業論文』みたいなもの。正直言って制度の紹介がほとんど。一部のマスコミが面白おかしく報道している」と話していた。
だが、世の中が「年収103万円の壁」の議論で盛り上がっている隙に、何食わぬ顔で議論が再浮上してきた。納税者もなめられたものだ。
現行制度では、退職金課税の優遇は終身雇用を前提とするため、若手や中堅でキャリアアップなどを目的に転職したい人が、不利になるとの指摘もあるのも事実だ。
税調に出席した有識者からは転職が増え、「(企業は既に)退職金を積み増すよりも、今の給与を手厚くする傾向にもなっている」との意見も出た。
第一生命経済研究所の永濱利廣首席エコノミストは「労働市場の流動性を高めるという意味では、将来的に退職金課税の優遇をなくした方がいいとはいえる。ただ、家計が厳しい世帯が多い現状では、もろ手を挙げて賛同できるような施策ではない。対象となりそうな就職氷河期世代(1993~2004年ごろに高校・大学を卒業)は、ただでさえこれまで割りを食ってきた世代で、優遇の廃止は痛手が大きい」と話す。
退職金を受け取る世代を襲うのは、物価高だけではない。
東京商工リサーチの調査では、今年1~9月に早期・希望退職の募集が判明した上場企業は前年同期の1・5倍、対象人員は4倍にも上り、3年ぶりに年間1万人を超える可能性が出てきた。
経済ジャーナリストの荻原博子氏は「賃上げを経験してこなかった世代の頼みの綱が退職金という面があった。住宅ローンなど負債を抱えたり、多少余裕のある人でも旅行などで消費に回す絶対額が多い。『老後資金2000万円問題』も叫ばれて財布のひもを締める形になると、さらに消費を冷え込ませる」と警鐘を鳴らす。
今後の議論では、勤続20年以下でも現行制度より大きい控除額が適用されれば、勤続年数が短くても減税額が今より増える可能性もあるという。それ自体は結構なことだが、現行の優遇策を廃止する理由にはならない。
荻原氏は「退職金を受け取る世代は大学生の子供を養う世帯も少なくない。現在の若者の貧困は奨学金の返済も大きなウエートを占め、20~30代まで尾を引いている。扶養控除も縮小に動くなか、親の資金に余裕がなくなれば、若者の生活にも響く」と強調する。
転職の環境も十分ではない。職業紹介事業を展開する企業ゴールドキャリアが先月公表した年収変動に関する調査によると、転職で「年収が下がった」と回答したのは、20代が32・0%、30代が45・3%、40代が39・2%。50代は60・0%にも上る。
荻原氏はこう疑問を投げかけた。
「転職を拙速に進めても、40~50代の場合『企業で経験を積んできた』とみられず、『年齢が上』というだけで給与が低くされる傾向もまだ根強い。転職でも給与、退職金も上がらず、長年同じ会社に勤めても控除を縮小される。得をするのは誰なのか」