NHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公、「蔦重(蔦屋重三郎)」が生まれ育った江戸の一大遊楽街「吉原」の街は、みなさんよくご存じ、幕府公認の遊郭だった。
吉原神社の松木伸也宮司によると、幕府公認の遊郭は、今の日本橋人形町あたりにまずつくられた。一面、葦(あし)の生い茂る低湿地を開拓して築かれたので、当初は葦原(あしはら)と呼ばれていた。葦は「あし」とも「ヨシ」とも読め、「あし」は「悪し」と同音なので、読み方を「ヨシ」と変え、地名も「吉原」に変えたという。
最初の吉原が、10万人の江戸市民が焼死した、あの「天明の大火」(1788=天明8=年)で全焼したため、遊楽街そのものを浅草の北部に移転させたという。
遊郭に集められた女性たちの多くは、親の借金のカタとして「売られてきた女性たち」だった。あまりの辛さに、何度も「脱走」を試みたが、遊郭側は、女性の逃亡防止のために、遊郭の周囲にどぶ川を掘って彼女らの逃亡防止の手段とした。
そのどぶ川は「鉄漿(かね=お歯黒)どぶ」と呼ばれた。吉原の女たちが使ったお歯黒の汁を捨てたためという。女たちは何度か脱出を試みるが、ことごとく失敗する。この鉄漿どぶの「あと」は細いくぼ地として、今に名残をとどめている。
「鉄漿どぶの石垣擬定地」という石垣もあった。現地を一緒に取材して回ったサンケイ出版の編集長が「石垣に腰を下ろして、どぶ跡を感慨深く見るといった体で写真を一枚」というのでその通りにした。
その瞬間、向かいのお家の玄関がガラッと開いて、中から還暦過ぎとみられる女性が出てきた。彼女は正面に腰を下ろしている私を見るや否や、間髪を入れず、「お兄さん、気分でも悪いのかい? 水、持ってこようか?」と大声で聞いてきた。
何十年ぶりに「お兄さん」と声をかけられたことが妙にうれしかったが、それよりも、見ず知らずの人でも異常を感じたらとっさに声がけをする…その優しい下町情緒に触れて感激した。
帰りがけに「吉原大門」を訪ねた。
昔の写真をみると、道をまたいで龍か何かがウネっているゴテゴテしたデコレーションの門が「異世界」を感じさせる。現在は、道の両端に細い高い柱が建っていて、その2、3メートルの高さに、駅名表示のように「大門」と書かれた板が張り付けられているだけだ。
ただ、「さすが吉原」と思わせるものも残されていた。道路の塩梅(あんばい)。妓楼(ぎろう=遊女を置いて客を遊ばせる店)に通じる道は、昔通りのS字カーブだった。直線でない分、目的の場所に入っていく人の姿は、大通りを通る車や人からは見えないようになっているのだ。 (元NHKキャスター)