1978年、ソロ名義の「たそがれマイ・ラブ」に続いて、バックバンド「美乃家セントラル・ステイション」との共同名義でリリースした「サファリ・ナイト」をヒットさせた大橋純子は翌79年、新メンバーを迎えた美乃家と「ビューティフル・ミー」を発表する。同曲は東京音楽祭世界大会で最優秀歌唱賞を受賞したほか、ソウルで開催された世界音楽祭でグランプリを獲得。大橋はその年の大みそかのNHK紅白歌合戦でも美乃家を従えて歌唱している。紅白出場でバンドボーカルとしての存在感を示した大橋だが、メンバー個人の活動が忙しくなり始めたこともあり、80年に美乃家は解散。以後、ソロ活動にシフトする。
スポティファイでは3000万回超再生
担当ディレクターの本城和治は新たな出発を意識して、全作詞を三浦徳子(松原みき「真夜中のドア」や松田聖子の初期作品などを担当)、全編曲を萩田光雄(大橋のヤマハ時代の先輩)に依頼したアルバム「TEA FOR TEARS」(81年)を制作。収録曲の「テレフォン・ナンバー」(佐藤健作曲)は当時シングルカットされなかったにも関わらず、近年の世界的なシティポップブームを受けて、2021年にアナログ盤として初シングル化された。音楽配信サービスのスポティファイでは再生回数3000万回を超えており、発売から40年を経て代表曲の1つとなっている。
かねて米国の音楽に憧れていた大橋は80年代、夫の佐藤健とともに米国で2枚のアルバムを制作する。ロサンゼルス録音の「黄昏」(82年)とニューヨーク録音の「POINTZERO」(83年)だ。前者はアース・ウインド&ファイアーのアレンジャーとホーンセクションのメンバーが参加。後者ではジャズフュージョン界を代表するサックス奏者、デイヴィッド・サンボーンら名うてのミュージシャンとのセッションが実現し、大いに刺激を受けたという。
自分の理想とする音楽を追求していた大橋に新たな大ヒットが生まれたのは82年。前年発売の「シルエット・ロマンス」がサンリオ出版のCMに起用され、5カ月かけてベストテン入りを果たしたのだ。大橋は日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。授賞式には事務所のオーナー・北島三郎が駆けつけ後輩を祝福した。 (濱口英樹)
■大橋純子(おおはし・じゅんこ) 1950年、北海道生まれ。74年にデビューし、日本人離れした歌唱力でヒットを連発。その音楽性がシティポップブームで再注目される中、2023年に73歳で死去。11月6日にデビュー50周年を記念した「THE BEST OF 大橋純子1974―1988」(ユニバーサル ミュージック)と「THE BEST OF 大橋純子 1988―2024」(バップ)が同時発売された。