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ドクター和のニッポン臨終図巻 作家・梁石日さん 父の暴力、在日コリアン…人生の呪縛を文学に投影 人一倍苦労してきた最期が穏やかなものであったことに安堵

zakzak by夕刊フジ 2024年7月8日 15時30分

僕がこの人の作品を手にしたのは、戦後の大阪を舞台にした映画『血と骨』(2004年)を観たのがきっかけでした。本作の監督は一昨年、この連載で書かせていただいた故・崔洋一さんでした。主演のビートたけしさん演じる金俊平は、昭和という時代に翻弄された済州島出身の在日朝鮮人。常に暴力的、誰も信じることのできない自己中心的な人物で、家庭のことなど省みない。しかしその孤独ゆえの危うさに、金という男からどうしても目が離せない…。

この原作のほか、同じく崔洋一監督で映画化された『月はどっちに出ている』の原作『タクシー狂躁曲』をはじめ『夜を賭けて』『闇の子供たち』など社会の暗部を抉(えぐ)るように書き続け、在日コリアン文学という新たなジャンルを切り拓(ひら)いたことでも知られる作家の梁石日(ヤン・ソギル)さんが6月29日、東京都内の病院で亡くなりました。享年87。死因は、老衰との発表です。

老衰と死因に書いてもいい死亡年齢は、何歳からですか? 若い医師からそう尋ねられることがあります。医学的な年齢の定義は明確にはありません。平均寿命(男性81歳、女性87歳)を超えてほかに死因が見当たらない、穏やかな枯れるような最期だった場合、ご家族と相談して「老衰」と死亡診断書に書くことがこの10年ほどは増えています。ただし70代であっても「老衰」としか書きようのない死も、時々あります。

これは僕の勝手なイメージですが、梁さんの死因が「老衰」だったことに不思議な安堵(あんど)感がありました。在日コリアン二世として人一倍苦労をし、血肉を削るようにして激しい作品を書き続けてきた作家の最期が穏やかなものであってよかったと思いました。

『血と骨』の主人公・金俊平は梁さんの実の父親がモデルです。梁さんは、あるインタビューでこんなふうに語っていました。

「毎日、親父の暴力におびえて暮らしているわけです。親父には憎しみしかなかった。家族は一番弱い存在でしょう。子供として絶対に許せなかった」

また、当時の在日コリアンが置かれていた状況については、こんなことを話しています。

「アプリオリ(先験的)に虐げられた存在ですから、家族は大概不幸ですよ。他の在日の家族も似たようなところがあります。親父の場合はちょっと特殊ですけどね」

母娘の関係がそうであるように、息子も、父親の人生が激しいほどその呪縛を背負って生きることになります。僕の父親は若くして自死したのですが、父の享年を越えたとき、何かから解放されたような気持ちにもなりました。

人生の呪縛を文学に投影し続けた梁石日さん。人間万事塞翁が馬、作家の生きざまに頭が下がります。

■長尾和宏(ながお・かずひろ) 医学博士。公益財団法人日本尊厳死協会副理事長としてリビング・ウイルの啓発を行う。映画『痛くない死に方』『けったいな町医者』をはじめ出版や配信などさまざまなメディアで長年の町医者経験を活かした医療情報を発信する傍ら、ときどき音楽ライブも。

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