「キッコーマンしょうゆ」は世界100カ国以上で販売されている。現地の食材や嗜好(しこう)に合わせたレシピを開発、提案し続けてきたことが功を奏した。同社の長期ビジョン「グローバルビジョン2030」では、目指す姿の一つとして「世界中の人々からキッコーマンがあってよかったと思われる企業になる」ことを掲げる。中野祥三郎社長(67)は「今年も社員とともに世界に羽ばたいていく」と話す。
◇
――業績が好調です
「昨年11月、2025年3月期の連結純利益が前期比9%増の615億円になる見通しを発表しました。達成すれば12期連続で最高益になります。北米や欧州など海外でしょうゆの販売が順調に推移していることが主な理由です。1960年前後に国際化と国内事業の多角化を推進し、海外ではレシピ提案と試食販売を地道に続けてきた結果、お客さまに必要とされる調味料に成長したことが近年の業績好調の要因といえます」
――海外に生産拠点を設けて50年以上になります
「1973年、米国ウィスコンシン州ウォルワースに工場を建設したのが最初です。現在、キッコーマンのしょうゆは100以上の国や地域で使われており、海外の売上比率は東洋食品の卸売事業と合わせて7割以上です。海外の生産拠点は、米国やオランダ、シンガポールなど8カ所に広がり、米ウィスコンシン州ジェファーソンに9カ所目を建設中で、26年秋に出荷開始予定です」
――しょうゆが海外で浸透した背景は
「米サンフランシスコに販売会社を設立したのが1957年です。しょうゆを米国をはじめ世界に広めるには、現地の料理に使ってもらうことが必要で、肉をしょうゆに漬け込んだバーベキューなど、レシピの提案に力を入れてきました。スーパー店頭でのデモンストレーションも展開し、しょうゆが浸透している北米は安定成長期に入り、1970年代にマーケティングを始めた欧州は成長期を迎えています」
――2020年に販売会社キッコーマン・インディア社を設立しました
「インドの人口が中国を抜いて世界1位になり、次のターゲットとして注目していました。調査を行ったところ、人気の『インド中華』で、色が濃く、着色料やうま味調味料を原料とする〝ダークソイソース〟が使われていることが分かりました。インドでは、色が濃いほどおいしそうと感じる人が多く、黒い色を付けるために使われています。その中で、インド中華のシェフ向けに日本式の本醸造しょうゆを紹介したり、添加物を使わないダークソイソースを開発するなど、地道な活動を続けています」
――22年にオランダ工場が25周年を迎えました
「欧州市場向けに『KIKKOMAN』ブランドのしょうゆを販売しようと、オランダ・サッペメアに工場を建設し、1997年から出荷を始めました。欧州はまだ米国の4分の1の実績ですが、直近10年の伸び率は北米の約6%に対し、欧州は約10%です。一昨年の記念夕食会にはオランダ王子妃のローレンティン妃、駐蘭大使、政界・学会関係者、地元市長など多くの方にご参加いただきました」
――社長就任時はコロナの真っただ中でした
「国内外ともに移動できなかったため、その時間を有効活用したいと、各部署のマネジャー15、16人との対話の場を月に2回設けました。リアルの時もあれば、オンラインのみや、リアルとオンラインのハイブリッドの時もあり、約2年間で約450人のマネジャーと会い、各職場で取り組んでいること、考えていること、社員の育成やエンゲージメントの向上などについて情報共有しました」
――今後の海外戦略は
「北米でしょうゆの売り上げはまだ伸びると思います。テリヤキソースなどしょうゆ加工品の商品ラインも拡大しています。欧州は引き続き間口の拡大と使用頻度を増やす活動を続け、二桁成長を目指します。インドネシアやフィリピン、タイなどASEAN(東南アジア諸国連合)にも注力し、キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にするための挑戦を続けます」
【会社メモ】キッコーマンしょうゆをはじめ、つゆ、たれなどのしょうゆ関連調味料、デルモンテトマト製品、マンジョウ本みりん、マンズワイン、豆乳など多くの商品を提供している。1917年に千葉県野田市と流山市のしょうゆ醸造家8家が合同し、野田醤油を設立。80年キッコーマンに社名変更。2024年3月期の連結売上収益6608億円、連結従業員数7521人(24年3月現在)。
■中野祥三郎(なかの・しょうざぶろう) 1957年3月生まれ、67歳。千葉県出身。81年慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了、キッコーマン入社。国内営業、海外出向などを経て、2011年常務執行役員経営企画室長。12年CFO(最高財務責任者)。15年取締役常務執行役員。19年代表取締役専務執行役員などを歴任する。21年代表取締役社長COO(最高執行責任者)、23年代表取締役社長CEO(最高経営責任者)に就任する。
大阪支店入社して経理部の配属となり、3年後、大阪支店で営業を任された。スーパーの担当として、新商品発売の際はスーパーのバイヤーと相談して陳列を工夫。特売セールなど販売促進活動を積極的に展開し売り上げに貢献した。当初、関西の言葉の言い回しがよく分からず、慣れるまで時間がかかった。「慣れると親しみが湧いてきました」
登山40歳を過ぎて網膜剥離(はくり)になり、テレビやパソコンの画面が見えにくくなった。遠くの緑や山を見るのが視力に良いと言われ、登山を始めた。当時、神奈川県藤沢市に住んでいたこともあり、鎌倉や三浦半島、丹沢などによく出かけた。その後、八ケ岳や南アルプス、北アルプスに出かけるようになった。「本格的な山は標識がしっかりしているのでむしろ安全です」
涸沢(からさわ)のカール 山の魅力は夕焼けや朝焼けで空が赤やオレンジ色に染まるのを眺められること。北アルプス・穂高連峰の山々に取り囲まれた涸沢のカール(氷河によって山肌が削り取られたお椀上の地形)地帯は、山岳紅葉のポイントとして知られる。「多くの登山者の憧れの場所です」。現在は、けがのリスクもあるため登山は自粛している。
家族妻、娘、息子の4人家族。娘と息子はそれぞれ独立し、今は夫婦2人きりの生活。息子は子供の頃からアレルギー体質で、フライパンなど調理器具も家族と別のものを使用したこともあった。そのため、息子自身も調理をするようになり、今では「息子が料理担当で、息子家族は皆、喜んでいます」。
テニス大学時代はテニス同好会で足腰を鍛えた。妻ともテニスを通じて知り合った。「実は、妻のほうが上手でして」。ゴルフも妻のほうがスコアがよいといい、「先日も『今日、コンペがあって優勝したのよ』とさらりと言われました」。
旅行夫婦で海外や温泉に出かけたり、1人でぶらりと旅することもある。仏像など古いものを見るのが好きで、奈良では春日大社の3000基の燈籠、新薬師寺では十二神将立像に感動した。旅先で地元の料理や酒を味わうことも旅の楽しみの一つ。「お酒は何でも飲みます。おいしい地酒を飲んだときは、旅の疲れを忘れます」
モットー一般的に会社、組織は〝やらされ感〟が強い。上に立つ者は、部下の個性をしっかり把握し、コミュニケーションを図り、聴く耳を持つことや、「褒める」「認める」ことが大事だという。「私自身にいい聞かせていることでもあります」
ペン/危機管理・広報コンサルタント 山本ヒロ子 カメラ/三尾郁恵