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阪神、震災から30年の誓い 選手、スタッフら60人が兵庫県西宮市の2軍施設で黙禱 平田2軍監督も神妙「鳴尾浜が最後の年に節目」

zakzak by夕刊フジ 2025年1月18日 11時16分

阪神淡路大震災から節目の30年を迎えた17日、阪神の選手、スタッフら約60人が兵庫県西宮市の2軍施設、鳴尾浜球場で黙禱(もくとう)を捧げた。

今年の3月から2軍は同県尼崎市に移転。地震当時にグラウンドが液状化現象に見舞われるなど、被災した鳴尾浜では今回が最後の黙禱となる。粟井球団社長は「30年は節目。いろいろと思い起こし、いつもより考えることも多かった。尼崎に行っても震災から復旧復興してきた、ということを伝えていく役割はしたい」と話した。

また当時、新人で入寮したばかりだった北川博敏2軍打撃コーチ(52)も「まさか関西でこんな地震が来るとは思わなかった。伊丹市にある実家も3時間かけて行ったけど、結局引き返して…。野球どころではなかった」と振り返った上で「常に準備して危機感を持ってやっていかないといけない。経験したことを知らない人に伝えていきたい」とキッパリ。平田勝男2軍監督(65)は「30年はあっという間だった。震災の年はおやじがなくなった年でもあるから、いろいろな思いがある。鳴尾浜が最後の年に節目の30年とはそういう(巡り合わせ)のがあるのかな」と神妙だった。

阪神淡路大震災が起きた1995年のシーズンは46勝84敗で一目瞭然の最下位。就任6年目の中村勝広監督(故人)が途中休養し、阪神以上に被災したお隣り球団のオリックスが「がんばろう神戸」をスローガンにリーグ制覇を決めたこともあり、悔いの残るシーズンだった。時は流れてチームも強くなったが、30年前の悲劇は忘れてはならない…。(岩﨑正範)

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