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椎名誠の街談巷語 世界最大の湿原パンタナールで〝鉄人レース〟気温45度・湿度85%の地で獰猛な蚊の来襲…とてつもないサバイバルに感心

zakzak by夕刊フジ 2024年11月8日 15時30分

信じがたいような過酷な鉄人レースがある。せんだって、それをNHKのドキュメンタリー番組でじっくり見た。二時間ぐらいの番組だった。

レースが行われたのは2015年で、場所は南米大陸にある世界最大の湿原、パンタナールだった。ブラジル、ボリビア、パラグアイにまたがるこの大湿原で、四人一組の男女混合チームが六百六十キロもの距離を彷徨った。六百六十キロといえば、直線なら東京から広島あたりまで行くほどだ。リミットの八日間以内で道なき道を駆け抜ける、とてつもないサバイバルレースだった。

気温四五度、湿気八五パーセントなどという、見ているだけでブッタオレそうな状況下である。

ぼくはこういう過酷なところで、他人が苦労していく旅話を見るのが大好きだ。

このパンタナールはぼくもその一部を旅したことがある。

ぼくのときは馬で行った。カウボーイに交ざって行ったのだ。水のなかにはワニやピラニア、毒を持ったエイなどが、陸にはジャガーや蛇、タランチュラまでがいっぱいいて油断ならなかった。だが、一番たまらなかったのは蚊が濃密に攻めてきたことだった。

テレビのなかでは世界各国から集まった30を超えるチームの挑戦者たちが競っていて、そのうちの日本人チームにスポットがあてられていた。

基本は徒歩と自転車とカヤックで、主にテント泊である。高温多湿のなかを、みんな信じがたいパワーと根性でずんずん進んでいく。

けれど途中でたおれるメンバーもいる。もう一度書くが気温四五度、湿度八五パーセントなのだ。死んでしまうのではないか、と思った。

それでも逞しく復活してまた決死のロードをいく。疲れきって体をやすませたいのに濃密な蚊が襲う。僕も体験した苦痛だが、蚊の来襲はニンゲンの精神をおかしくする。すさまじいムシ暑さは、川があればそこに沈めばいっときでもなんとかなるだろうけれど、蚊はしつこく激しく獰猛なのだ。見ているかぎり彼らには蚊からの防護の手だては何もないようだった。

こういう旅では蚊のいない、風の吹く昼間の風景が救いになる。カヤックでぐいぐい進んでいく場面は見ていてもここちがよかった。

そういえばこのドキュメンタリーにはとくに記憶に残るBGMがなかった。安易に音楽には逃げない、といういさぎよさだろうか。

こういう過酷な旅では何か食うことが活力のもとだが、彼らはアルファ米を袋からじかに食っている程度で気の毒だった。もう少しなんとかしたらいいんじゃないか、と画面のそとでイライラして見ているだけでも疲れるのだった。

夜、山のジャングルのなかでルートを見失う。さらにチームのリーダーともはぐれる。もっとも緊迫する場面だ。サスペンスとしては出来すぎの顛末だった。探検、冒険行としてはいちばんやってはいけない夜中の強行軍だが、そこでも突破してしまうのだった。そんなタフな人々にはつくづく感心した。

外国隊のエピソードだったが、足を怪我して挫折を余儀なくされるケースが紹介された。その隊員の複雑そうな顔が印象的だった。

このすさまじい鉄人レースは、このあと、別の土地では八百キロのスケールでおこなわれたそうだ。いまも世界各地の大自然のなかで続いていて、今年の世界選手権は今月末に南米エクアドルである。日本のチームも引き続き出場すると聞いた。

■椎名誠(しいな・まこと) 1944年東京都生まれ。作家。著書多数。最新刊は、『思えばたくさん呑んできた』(草思社)、『続 失踪願望。 さらば友よ編』(集英社)、『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)、『机の上の動物園』(産業編集センター)、『おなかがすいたハラペコだ。④月夜にはねるフライパン』(新日本出版社)。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」は https://www.shiina-tabi-bungakukan.com

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