女優の長谷川泰子と詩人の中原中也、そして文芸評論家の小林秀雄。この3人の奇妙な三角関係から生まれる壮絶な愛と青春を描いた「ゆきてかへらぬ」(2月21日公開)で、前作「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」(2009年)以来、16年ぶりの長編作品を手がけた。
「不思議な三角関係なんです。非常に個性的な3人がぶつかり合って不思議なひずみが起きて、それが何とも言えない人間の面白さだと思うんです。でもそれって、よく見ていると、自分たちの周りに似たことがあることに気が付くかもしれません」
40年前の脚本を映像化
実は本作の脚本はすでに40年前には存在していたという。「ヴィヨンの妻」でもタッグを組んだ名脚本家、田中陽造の手掛けた本だ。これまで多くの監督が映像化しようとしたが、実現しなかった。それをついに映像化にこぎつけた。
「僕も20年か30年か前に、この脚本をたまたま手に入れたんです。なかなか興味深かったのですが、自分には縁がないと思っていたんで…。でも『透光の樹』(04年)や『ヴィヨンの妻』で田中さんとお仕事をする中で、そういえばあれはどうなったのかなって気になって。この際、やってみようかと…」
とはいえ、事は簡単ではなく、具体的にキャスティングなどを始めたのは5、6年前だ。
「大正ロマン的な時代を撮るには金がかかるということ、そういう時代の物語が受け入れられるかということ、さまざまなハードルがあったからなかなか映像化されなかったんじゃないかな。あとはやっぱり女優だね。長谷川泰子という役を演じられる女優がいるかってことかな」
広瀬すず(26)という存在に出会ったことで話は一気に動き出す。
「彼女のドラマやコマーシャルを見ていて、泰子に重なる印象をみんな持たないでしょう。でも彼女が映画の中でチラッと見せる、鋭い感性みたいなものが必ず泰子につながると思いました。声をかけたら彼女もやるってすぐに言ってくれたし。こんなことを言うと他の女優さんに失礼かもしれないけれど、やっぱり彼女じゃなきゃ、この役はできなかったんじゃないかな。ピッタリはまってたなと思いますね」
中也を演じた木戸大聖(28)にも大きな期待を寄せる。
「広瀬さんや小林秀雄を演じた岡田将生さんに比べたら、彼の役者としてのキャリアは浅いから結構大変だったでしょうが、広瀬さんや岡田さんみたいに非常に有能な役者とぶつかり合って、彼の中に秘められた資質を出せたんじゃないかな。中也という題材に出合い、共演者に恵まれたことで、大きな一歩を踏み出せたと思いますよ」
屋根のひさしに落ちた柿、庭で壊れた時計、けむりが上がる斎場…印象的なシーンも多い。そこにも監督のこだわりがある。
「映画の魅力って、刺さるシーンがあるかどうかと思うんです。あの場面でこんなことが起きたとか、こんな景色だったとか、そういう断片がすごく人の心に残るのがかっこいいなって思ってて。そのためには物語がしっかりしていなければならないんだけど、シーンを一生懸命撮るわけじゃないですか。でも、それってまるで人生みたいだと思うわけですよ」
「人生を振り返って思い出すことって、何かのシーンなんです。そして、よく考えると、そこにつながる自分の何かがあるんですよ。ストーリーや歴史があって、自分の中に残ってるの。なんか、人生ってそんなもんだなって思うと、映画という短いものの中に、そういうものがちょっとでもあるといいなって思って」
これをきっかけに再び長編映画にどんどん取り組んでいくのだろうか。
「どんどんかどうかは分からないけど、きちっとね。なるべく時間があかないようにはしたいかな。人生も残り少ないのでね(笑)、いろいろと撮っていこうと思っていますよ」
■根岸吉太郎(ねぎし・きちたろう) 映画監督。1950年8月24日生まれ、74歳。東京都出身。早稲田大学第一文学部演劇科卒業後、日活に入社。78年、「オリオンの殺意より、情事の方程式」で監督デビュー。81年の「遠雷」でブルーリボン賞監督賞、芸術祭選奨新人賞を受賞。その後も2005年、「雪に願うこと」で芸術祭選奨文部科学大臣賞、第18回東京国際映画祭のグランプリや監督賞など4部門に輝いた。09年の「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」では、モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞。10年に紫綬褒章。主な監督作品に「探偵物語」(1983年)、「ひとひらの雪」(85年)、「ウホッホ探検隊」(86年)、「永遠の1/2」(87年)、「サイドカーに犬」(2007年)など。現在、東北芸術工科大学理事長。
(ペン・福田哲士/カメラ・相川直輝)