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ぴいぷる 歌手・増田惠子とピンク・レディーのケイは〝どちら〟も自分 最愛の夫が8月に死去、横浜のライブでは不思議な出来事が

zakzak by夕刊フジ 2024年12月12日 11時0分

目の前にいるのは、ソロシンガーの増田惠子、そして、もちろんピンク・レディーのKEI(ケイ)でもある。

「もう今の自分には、どちらもぴったりくるんですね」

ミー(現・未唯mie)が通う静岡市の中学校に転校して同級生になったケイは意気投合し、オーディション番組を勝ち抜いて、1976年8月25日、鮮烈なミニスカートと斬新な振り付けによるピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」で世に出た。

社会現象になるほどの大ヒットの数々を生んだ絶頂期の81年に解散。「すずめ」でソロデビューしている。

「全然イメージチェンジをしたつもりはなく、ただただ中島みゆきさんに楽曲を書いてもらうのが長年の夢でした」

その後も、松任谷由実、竹内まりや、桑田佳祐、加藤登紀子らそうそうたる作家陣が手掛けたシングルは10枚を超えるが、ピンク・レディーを嫌ったわけではない。

「ただ、隣にミーがいないとピンク・レディーとして表現するのは何か違和感があったんです」

心の中で大きく変わったのは、再結成後の2003~05年に100カ所200回公演で40万人を動員した「ピンク・レディー メモリアルコンサートツアー」だという。

「すごく喜んでくださって。私たちが『せっかくだからみんなも一緒に踊らない?』と呼びかけると、キラキラのスパンコールを着てきたお客さまが1曲目から総立ちで。『ウォンテッド(指名手配)』では、お友達と向かい合って踊ってくださって、どっちがステージか分からない(笑)。目を潤ませて、泣きながら笑いながら歌って踊って。デビュー当時、大変だったけど、解散して20年近くたっているのにこんな光景が見られるなんてと、ピンク・レディーという枕詞(まくらことば)が全く気にならなくなったんですよね」

以来、ソロ公演でも、息の合ったコーラスのシンガーとピンク・レディーのナンバーも披露している。

「高いチケットを買って遠くまで来てくださって、心ばかりのありがとうというプレゼントの思いもあります」

ピンと背筋を伸ばして受け答えする姿はステージ同様に美しい。とても体幹がいいのでは?

「30代後半ぐらいから、森下洋子先生の松山バレエ団に通っています。親友で女優の芦川よしみちゃんと時代劇の撮影をしたとき山を登ったり下りたりするシーンで、彼女はスタスタいくんですが、私は…。『体力がなくなったんじゃないの。それじゃダメよ』と背中を押してもらったのがきっかけです」

クラシックバレエは子供の頃からの憧れ。

「なかなかうまくならないのが悔しくて、ちょっとうまくなるとすごく励みになるんです。それと、見た目がすごく変わりました。立ち姿もそうですし、座り姿もちょっと猫背気味だったので、改善されまして。やはり、ステージに立ったときに、その場の空気を変えたいんです」

鍛えていてもいまだに苦労する曲がある。

「難しいというより一番苦しいのが、昔も今も『カメレオン・アーミー』です。(歌うときの)腹式呼吸ではできない振りなんですよね。肺で呼吸をして、本当に苦しいんです」

奮闘を見守り続けてきた最愛の夫、桑木知二さんの訃報が、彼女のブログで明かされたのは今年10月。実は闘病の末、8月21日にすい臓がんのため70歳で亡くなっていた。だが、同月24日の横浜のライブでは、誰にも言わず舞台に立った。

「主人との約束もありましたし、スタッフもライブを成功させようと懸命でした。ファンのみなさんだって、ご両親の介護など、それぞれの人生を抱えていらっしゃる。つかの間、少しでも忘れて楽しみたいという思いで来られているわけですから絶対に言えません」

発表までのタイムラグはプロとしての矜持でもあり、夫を愛すればこそだったという。

「ブログは主人の遺影の前で書きました。書き終えたとき、主人の前で読んだんですね、そうしたらなんか、気のせいかもしれませんが、遺影の目の縁が赤く見えたんですよ。じゃあいいんだねこれでって。外を見たら月が出ていて。そういえば入院する前に、『月がきれいだよ』って。そういうこと言うのは、いつもは私だったのですが」

横浜のライブでは不思議な出来事があった。

「ステージの中央に立つと、ふわーっと黄金色の光が見えて、すごくあったかくなって。繭の中で包まれている感じがしました。これから先も必ず本当に主人がこうやって守ってくれている気がします」

■増田惠子(ますだ・けいこ) 歌手。1957年9月2日生まれ、67歳。静岡県出身。76年ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。81年に解散し、ソロデビュー曲「すずめ」が40万枚の大ヒットとなり有線放送大賞特別賞など各賞受賞。女優として映画、ドラマも本格的に開始。89年フランスにて「Kei」で Just in PANTHE レーベルからデビュー。2003~05年「ピンク・レディー メモリアルコンサートツアー」(100カ所200回、40万人動員)。10年9月1日〝解散ヤメ!〟を発表、ピンク・レディー・アルバム「INNOVATION」を発売。11年ピンク・レディー再始動。全国22か所ツアー。22年7月ソロデビュー40周年記念アルバム「そして、ここから…」を発売。

25年1月28日、「増田惠子&KEI(ピンク・レディー) I Love Singing!! Premium Encore Live」を東京・有楽町のI’M A SHOW(アイマショウ)で開催する。

(ペン・中本裕己/カメラ・鴨志田拓海)

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